2007年04月07日
2007年03月19日
2007年03月17日
2007年02月06日
夕陽の速度

昼の太陽とちがい、
なぜか夕陽はもの静かで雄弁。心に直接語りかけてくる。
「正しくあろうなんて思いすぎないほうがいい」
正しい状態って、言葉で考えるものではなくて、
こんなときにふと、心で感じるもの。
頭で理解しようとしてもできないことを夕陽は教えてくれている。
波のリズム、夕陽の速度。
これを忘れないようにしよう。
青に溶けてしまいそう

海が世界をつないでいるように、
過去や未来が地続きに絶え間なくつながっている、
そんなあたりまえのこと。
ここにいると、
過去や未来から意識をそらさなくても、今を感じることができる。
それくらい、「今」を感じることが貴重な時代なのかな。
きっと、今を感じていなければ、どこにいたって仮想世界なのかもしれない。
2007年01月17日
天空散歩

「人って空を飛べないのに、なんであんなにはっきりと空を飛ぶ夢を見ることができるんだろう。」
それが心の中の世界で作られた出来事であったとしても、それなら現実の世界を受け止めているのは一体どこなんだ?
みんなが見ているこの文字だって、写真だって、本当に存在するのだろうか?電源を消したら消えてしまうあやうい世界をどうやって「ある<現実>」って言えるのだろう。
もし次の瞬間にこの画面が「Not Found」になったら、みんなとの関係はきっと終わってしまう。それは僕の存在がなくなったのではなくて、ブログを管理している会社が倒産しただけかもしれない。
そんなものに、僕たちの関係が握られているのだとしたら、細い糸の上に立っているような世界で僕らは何をしているんだろう?
現実社会はすでに人間関係が希薄で一人ひとりの存在が弱弱しいものになっている。家族や地域とのつながりが薄まりつつある時代に、インターネットがそれを助長していてより人間を弱くしていく。
本当にそうだろうか?
細い糸の上にであったような関係だからこそ、地域や家族や社会を超えて必死につながろうとす力も芽生えるのではないか?
植物のように、枝が折れてしまってもそこから芽吹く力をいまは養っている時期のような気がする。
関係の弱い時代だからこそ、いまは個~自分との「つながり」を見つめ、そして家族や人間関係の「つながり」、地域や歴史との「つながり」を再認識する時代がくるのだと思う。そうした人間や時間、空間の間合いを見なおす感性を養うために、いまはインターネットから様々なものを学んでいる気がしてならない。
それは検索の力だっていい。「Not Found」なら様々な可能性を試して、またつながろうとする気持ちだってきっとそう。
自分を理解するために、表現してみる葛藤だって必要なステップなのだと思う。
自分の中にある新しい可能性を試してみること。
時代が困難を迎えてもきっとそれを乗り越えるだけの想像力が僕らにはまだ沢山残っていて、それを気づかせてくれる存在がこのネットなのだと信じてみたい。
これからの時代、より見えない(バーチャルな)ものを意識して感じる力が必要なんだと思う。それはオカルトな話ではなくて、心や思いを大切にするだけのこと。想像する力、思いやりだってそう。
インターネットはビジネスの道具としてだけではなく、心の在り方を教えてくれる教材でもあるはず。それを示せるのが日本的なインターネットの在り方なのかもしれない。いやそうあってほしい。
そこに「ある」と強く思えることでしか、現実は生み出せないのだから。
すっごい脱線したかな。
2007年01月07日
ただ散歩すること。

■沖縄のおばぁ
沖縄の海岸を散歩しているとき、ひとりのおばぁとすれ違った。
「あっち(岩場の向こう)は風がびゅーびゅー吹いてて、大変だった」みたいな会話を一言二言交わして、僕は海辺に歩きだし、おばぁは海岸沿いのコンクリートの道をただ歩いている。
あっちの岩場をみると随分遠い。何時間歩いてきたんだろう。
「何をしているんですか?」なんて聞くのも野暮な気がして、なんだかご近所さんのような気分でごく自然に出会ってごく自然に別れた。
おばぁはただ歩いていた。きっとその海岸を何十年も歩いているのだろう。その表情や立ち振る舞いで色々なことを感じることができる。
そこに生活している。という生きた表現。生きることにエネルギーを注いでいるから、心を動かされる。
そしてそこからも沖縄に一歩近づき沖縄を感じることができる気がした。
僕がインターネットの世界をこうやって散歩しているとして、たまたま出会った人には同じように感じるのかもしれない。
「こんなところで何をしているのだろう?」と。
このブログも同じように、ただ散歩するように日々の生活を淡々と表現していけたらいいなと思う。
2006年12月12日
2006年12月05日
刹那にしか出会えないもの

君は君で
僕は僕でいることがゆるされるとき。
シャッターが二人をつないでくれる。
深く知り合うだけの時間はなくとも、
刹那に垣間見える君の表情を忘れないようにしよう。
目と目があったように、永遠を感じる一瞬。
何かが必然としてそこにあって、
お互いがその存在を認め合う。
あたりまえのように広がる世界はあたりまえには存在しない。
だからこの瞬間が永遠。
通り過ぎるからこそ見える景色をもっと沢山感じていたい。
2006年12月01日
Mt. fuji

羽田から富士山を眺めながら飛んでいるということは、今回は南下です。
仕事で沖縄に来ているのですが、日中は日差しがあると小春のような陽気でタンクトップでも過ごせます。夜はさすがに肌寒くなりますが、昨晩ホテルのベランダで海を眺めながら原稿を書いていたら、夜が明けてしまいました。
初日から市場で古本屋を営んでいる方と店先に座り込んで1時間ほど談義。市場を通り過ぎるのではなくて、道行く人を眺めながらお話をするのも新鮮で楽しい時間でした。初対面とは思えないほど、こっちの人は気楽に話しかけて会話が楽しめるのも魅力ですね。
その次に寄ったカフェでは、地元で移動カフェをしていた思い切りのいい女性の方がまた思いきりよく先日移住してきたという話をカウンター越しで聞いて、まるでベンチャー天国。まさにアドベンチャーな人たちばかりで会うたびにめっちゃ元気もらいます。
やっぱり武勇伝持っている人は楽しい!!
東京にいるとかっこいいことを目指したがるけど、こっちにきている人は、どこかはちゃめちゃでかっこいい。人間味あふれるお茶目な人が多いです。
エネルギーにあふれてますね。沖縄。
これからちょくちょく訪れることになりそうなので、積極的に色々な人をたずねて行こうと思います。こちらで遊びに行ける場所やお宅があったらぜひ教えてください!情報募集中です~。
2006年11月18日
イルミネーション

オレンジの光と赤の光。数千個の電球のアーチをくぐるだけで、気持ちが暖かくなる。
いいと思える文化や幸せな習慣を自由に積極的に受け入れる感性。
色々な足し算(和)でできている日本ってやっぱり素敵だなと思う。
流されやすいといわれるけれど、根底に譲れないものがあるからこそ、身を任せ受け入れられるのだとも思う。
それはいつまでも「平和」でいたいと願う気持ちなのかな。
なんてイルミネーションの元で思う。
(新宿高島屋ボードウォークにて)
powered by performancing firefox
2006年11月09日
夕陽の時間
(パークハイアット、ピークラウンジにて)
今日一日が穏やかだったかどうかは、夕陽の時間を感じているかどうかでわかる。
あわただしくすごしていると、一瞥した次の瞬間に夕陽は姿を隠してしまう。
じっくりと眺めたって、たった数十分なのに、そんな時間を見失ってしまうんだなぁ。
でも。一日があわただしく過ぎても、ゆっくり夕陽を眺めていれば、一日が穏やかにすごせたような気にもなるから不思議。
2006年10月19日
寄り道

地方は渋滞情報が効かないので、ナビで最短コースをたどると、みんな同じ道を走ってしまい混雑してしまう。
だから、ある程度の目的地だけ決めておいて、そのルートはわざとナビを裏切りながら走る。
そのほうがのんびり走れることが多い。
ナビのおかげで迷うことはないので、安心して寄り道。
そういった小さな冒険に走ったほうが、週末のドライブは絶対に楽しいし、
自分だけの景色にも出会える。
誰も走っていない道を探して走る楽しさ。前人未到の道なんてなかなかないんだけど、そんな道で誰かと出会ったり、景色を見つけたら、きっと深い縁を感じるはず。
自分だけの情報(道)を見つけて「こんな景色(情報)があったよ~」とブログしたときに、同じ景色を見た人や、同じことを感じた人たちと出会う感覚に近い気がしますね。
そんな期待をしながら、安心してみんなと違う道を選んで走れること。これもナビ(ネット)のおかげかな。
2006年09月30日
2006年09月26日
なんくるないさ~

そしたら「なんとか」なっている。とりあえずはね。って言う。
沖縄には「なんくるないさ~」という言葉があって、今回の旅の目的のひとつに、その「なんとなかなるさ~」の精神をもっと肌で感じ取りとってみたいという思いもありました。
沖縄には移住する人と同じくらい、移住生活を断念する人も多く、その違いにも色々な理由があると思いますが、自分に置き換えて考えてみると「無理をしない生活をするために、沖縄に行く」そして、そこで「無理がたたったら」そこから離れる。のだと思います。
「無理をしない」ために沖縄に行く人ってたとえば、都会の生活で収入や刺激は多いけど支出や気苦労もその分多くて、そのロスを埋めるために、色々な「無理」をしている人。
そんな生活をどこかのタイミングで変えたいと思っている人だと思うんですね。
短期間の旅行なら、沖縄は非日常のままなので、「無理」しないまま癒して過ごすことができるのですが、ロングステイや移住を考えると、沖縄生活という日常をどうするか?で意味が変わってきます。
「無理をしない生活をするために無理をすること」そのバランス感覚。
どんな「無理」をして生計をたて、その「過度に無理をしない生活」を獲得するか?
その「無理選び」のセンスによって、「なんくるないさ~」精神に歓迎される人と、そうでない人が分かれる気がしたんですね。つまり、居残れる人とそうでない人。
そこで「無理」の選び方がポイントになる気がしたのですが、
「なんとかなっている」人のポイントは、何が「好きか?」を明確にしている。ということ。
つまり好きなものへの努力は、他人が思うほど「無理」していないんです。
沖縄に行ってもし「なんくるないさ~」の神様がいるとしたら、まず、何が「好き」なのか?何をしている時が、寝食忘れるほどワクワクしながら没頭できるのか?自分と向き合ってそれをつかみとったかどうかを試すと思います。
そしてそれを実行に移したとしても、かなり長い間結果や収入につながらないと思います。
あ、もうだめかもしれない。もう少しがんばって駄目だったら・・・と踏ん張っていると、この沖縄のエメラルドグリーンの海や真っ青な空のどこかから「なんくるないさ~~~~」と、不思議な力が後押ししてくれる。
自分に正直に誠実でいられれば、色々な力が作用する。カフェのオーナーと接していてそんな気がしました。
でもね。これって沖縄にかぎらず、自分がコレ!と思ったことに不器用でも没頭している人がいたら、周りは、その熱意や気持ちにうたれて、足りないところを補ってあげよう!って気持ちになるもんですよね。
そういう人には、東京だったら「なんとかなるさ~」の神がいて、大阪だったら「なんとかなるで~」の神が近寄ってくるだけの話。
ただ、沖縄にそれが強く作用するのは、気候が温暖で自然のエネルギーがフンダンにあることと、家賃が安いこと。かな。
珍しく長く書いてしまいました。
なんか、日常生活でクサクサしてしまい、どうも「うまくいかないな~」と感じたら、自分の「好き」を見つめに沖縄に遊びに行ってみるといいと思いますよ。なんくるないさ~~。
2006年09月21日
2006年09月20日
2006年09月19日
2006年09月14日
住友ビルから都庁

楽しい話で盛り上がったそのときの気持ち。この景色と一緒に忘れないようにしよう。
(住友ビル50階にあるティーサロン「SUN」にて)
2006年09月05日
駿河湾の夕日

いつも行き当たりばったりなので、土肥港を目指したのは、とにかく海辺に出て夕日が見たかったら。
たまたまナビがさす進行方向で一番近そうな海辺。
修善寺を越えたあたりから、だんだん夕焼けモード。
あせる気持ちを抑えて、山越えのワインディングを飛ばす。
もうだめかもしれない・・と思いながら、峠を越えると、眼下に駿河湾。
夕日は雲の向こうに隠れてしまっているけど、港に着くのをまてないので、峠の途中で車を降りてしばらく眺める。
ネイティブインディアンは風や火を魂や愛情に例えて語るらしく、たとえば、「薪に火をつけたいからといって、あせって風を吹き入れてはいけない」といったら、焚き火のことを言っているのではなく、愛情の育て方を例えて語っているらしいんですね。
自然に例えて大切なことを話すことも、それを比喩と理解して読み解く受け手側の感性もすごく情緒的で素敵です。
この景色を見ながら、インディアンの長老なら何を語るのかなぁと考えてました。
たそがれるって、言うけど、負な思いばかりじゃない。
夕日を眺めていると、終わることへの悲しさやせつなさもあるんだけど、そのなかにいとおしさもあって、それを受け入れるとどこからか力強さも生まれてくる。
有終の美っていうのかな。美しさってエネルギーになる。
あと物事って終わりがあると思えるほうが、色々なことに気づく。それを教えてくれているような気もする。
夕日はそう思うと、「終わり」について何かを伝えたいときに例える言葉なのかな。
なんてことを考えつつ、夕日に元気をもらって峠を降り、港の銭湯で一風呂あびて、車中泊できそうな寝場所を探しに・・
2006年08月11日
羽衣の滝

[map:43.629366,142.786903]
写真では上の2段くらいしか撮れませんでしたが、この写真の倍ほどのスケールがあります。(撮影:Canon IXY800is)
滝まで川沿いに遊歩道があり、木漏れ日をあるきながら10分ほどでたどり着けるので、湯上りの散歩にちょうどよい距離。
神様の木を経由して突き当たる場所にあるので、旭川市内より温泉がてら2~3時間コースで回るにはぴったりです。
2006年08月09日
オシンノラ

「かわいいい~~」と奇声を発しながら取り囲まれて、写メばしばし撮られてもまったく動じない超マイペースっぷり。
なでると、こんな感じ・・・かっ、かわいい。
2006年08月08日
涼しげな雲

昨日、仕事場のベランダから撮ったあまりにも夏らしい空を眺めながら、しばし夏気分。
雲たちもきっと夏休み。夏の風物、灼熱の東京をへたへたあるく人間を見にきたに違いない。
いい眺めを取ろうと、きそって場所取りをしているよう。
す、涼しげな顔でこっちをじ~っと見るな!!
2006年07月27日
森の神様

右端の折れて垂直に伸びている幹の折れ曲がっているあたりが人間の身長くらい。
圧倒的な命のスケール。その智なる生命の姿を前にするだけで、思いっきり元気もらえます。
帰り際に森の神様にお願いして一緒に記念撮影。大量の小バエが遊んで欲しいのか、まとわりついてきたので写真がぶれまくった。
星野道夫(旅する木)の、好きな一節より。
人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるものですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。
2006年07月26日
北海道の夕陽

重い腰をあげて、旅に出る。
はじめはカラ元気だって、旅に出れさえすれば、
出会う景色が本当の元気をくれる。
道端に咲いているちっぽけな感動から、ちっぽけな元気をもらって。
それを元手にもう少し大きな出会いを探して、その出会いから元気をもらう。
そうやってわらしべ長者のように、どんどん元気を膨らませていく。
普段「まぁいいか!」なんて見過ごしてしまうような景色だって、
車を引き返して、会いに行く。
面倒だなと思う山道を分け入って、滝つぼを見に行ってみる。
入るのに勇気がいる秘湯に手ぬぐい一枚で入ってみる。
景色や虫や動物が、わざわざ会いに来てくれた御礼に元気をくれる。
無駄足を踏むほどに、元気のおつりが残る夏の北海道。
貯金がだいぶたまりました。
2006年06月06日
逆さまに描く

実際にやってみると、これが意外に楽しい。
描き始めは、「うまく描けているか?」「このあたりは、どのあたりだろう?」と不安になるのですが、手本の線を必死に追いかけているうちに時間が経つのを忘れてしまうほど集中していきます。
描き終えて描いた絵を逆さにすると、思わずニヤッとしてしまうほどよく描けている。
紙の下から描いたので最後のプロポーションが寸詰まりにはなったけど、それはそれで個性的。
たぶん、この技を知っていたら、子供の頃美術授業で絶対にやっていたのに。。。(気づくのがちょっと遅すぎた。。)
それにしても、普段の生活でいかに意味や先入観にとらわれているか。
こうあるべき。きっとそうだ。という思いに縛られてしまうあまり、はじめからあきらめてしまう。もしくは奇をてらうことばかりに走ってしまうんですよね。(自分にもそういう素直じゃないところ、沢山あるなぁ。。。うんうん。)
2006年05月30日
現実

雑踏の中、人ごみにまみれているとき?
カメラの前に立っているとき?
布団に入って目を閉じているとき?
どこが現実だったんだろう。
苦しくて泣いたとき。
悔しい思いをしたとき。
思いっきり笑ったとき。
どれも現実だったんだろう。
どこにもないようで、どこにもある。
誰かを意識したり強く触れ合った瞬間に感じるなにか。
携帯のシャッターを押した数秒間。
これまで自分を存在させてくれた、家族、友達、恋人。
もしかするとこの文章を読んでくれているまだあったことのない人。
誰もいない建物を眺めながら、自分の現実が透明になってしまわないように
沢山の人の存在を忘れないように感じていたいと思った。
2006年05月29日
サイロ

この時間に存在したこと。その時間にしか存在しなかったこと。
数時間前まで自分の体が北海道にあったことすら、元の世界に戻ってしまうと
不確かになってしまう。
もしかしたら、数時間前まで、ずっと昔を旅していたのかもしれない。
2006年05月12日
ただ眺める

変わった形、刺激的な色。意味のありそうなもの。
ひとしきり目を泳がせて、さまよい飽きたころ休ませるように眠る。
まるで朝起きてから寝るまでの間、元気に遊んでいる子どものよう。
でも、好奇心に満たされすぎると、一体何を探しているのかわからなくなるときがあって、そんなときは同じ景色をただ眺めるために出かける。
居心地の悪い目線が、その場を離れようとするのを、大人な心がそれを躾ける。
観念しはじめると、水を打ったかのような静かな空気が、記憶の中にある、本当に見たかったものをあぶりだしてくれる。
目を閉じても見れる景色。
そんな静かな気持ちになれる瞬間を求めて旅にでる。
2006年04月28日
2006年04月11日
神宮の森

以前この近くに住んでいて、ここの野原は散歩コース。ここの木々を見ているだけで癒されます。(いつの間にか大きなビルが建ってしまって残念。)
異物感のない空が貴重な東京だけに、抜けた空をまた探しに出かけないと。
ビルやその会社には非はないのですが・・。これも人の世の常。
いつか、自動車が空を飛ぶ時代がきたら、こんな景色でも貴重に思えるときがくるのかもしれない。と思いながらうたた寝。
2006年03月21日
2006年03月11日
九十九里にて
励ましも受け入れもせず、また、怒りも拒絶もしない。
どんな表情をしていたって、何も映し出さずにいてくれる。
元気でいることに、疲れてしまったときは、
ここに来るといい。
灰褐色の砂浜に無彩色の空がすべてを包み込んでくれる。
そしてひとしきり、人が恋しくなったら、元気な顔をして家に帰ればいいのだから。
2006年03月07日
2006年03月04日
2006年01月29日
グレーな世界へ

誰が敵で誰が味方か?
世界や社会は自分にとってどっち側だろう?
でもよく考えたらどちら側でもなくて、
「側」で考えるからきっと葛藤するんだ。
まるで○×クイズの会場のように、
いつも葛藤し混乱しさまよっている。
0と1の時代はもうすぐ終わるのかもしれない。
0以上1以下な世界。
白と黒の間。グレーの世界に美しさが見出せれば、
新しい時代が産声をあげてうまれてくる。
グレーは混乱の象徴ではなくて、新しい時代への可能性。
曖昧さは情緒をともなった、美しさ。
そんなものを見出せる感性が僕らにはあったはず。
グレーのキャンバスを使って、未来を描こう。
2006年01月21日
かさぶた

それは傷ついた気持ちのかさぶた。
さわらないようにしていても、
ジュクジュクうずく痛み。
でも、いつかはがれて
痛みをつれてどこかに消えてしまう。
少しだけ傷跡をのこして。
よくかさぶたを作っては、それをじっと眺めるだけで陽が暮れるほど・・、そんな子供のころ。
はがすと痛いのはわかっていても、じくじくした痛みが気持ち悪くて、そこから逃げたくて、ついはがそうとしてしまう。
「ちゃんと乾いてからはがさないといけない。」って、今におもえば大切なことをそんなとこから学んでいたんだなぁ。
だけど、かさぶたがとれたとき。なんだか妙にさみしさもあったりするんですよね。で、また転んでかさぶたつくって。
それにしてもいつのころから、かさぶたをつくらなくなったろう。
たまには大人転びして、かっこいいかさぶたをつくらねば。(かさぶたを超えて、縫い傷にならない程度に・・)
2005年11月30日
2005年11月04日
もがいてみる
じぶんを認めたくない悔しさで立ち止まり、
じぶんを認めようとして前に進んでいく。
そんなことをくりかえしていると
いつのまにか大きく前進している。
何気ない瞬間にふと感じるときが幸せというけれど、このままの自分では納得ができなくて、前に進みたいと思う気持ちを自分に感じていられる瞬間。
きっとそれもひとつの幸せの形。
もがいている人ってやっぱり好きなんだなぁって思う。
スローライフとか悠々自適な生活とか。それが人間本来の自然の生き方なのかもしれないけど、ものすごくもがいて肩に力がはいりまくっていても、それもまた人間の自然な姿。
自由を追い求めるために、不自由さを受け入れて生きることだってそう。
みんなもがいているんだから。
そう思ったら、孤独感も少し減るしね。勇気すらわいていくる。
きっとうまくいく。根拠ないけど、きっとね。
2005年10月06日
神威岬

2005年10月04日
オンネトー

透き通るようなエメラルドグリーン。
倒木した木のシルエットがまた神秘的で、思わず息をのんでしまうほど。
この場所に向かう途中「モロコシ街道(足寄より阿寒湖方面に続く国道241号線沿い)」みたいな場所があり、数km走るたびに畑の傍らで茹でたトウモロコシを売っている人がいて、当然食べながら走るので助手席がトウモロコシの芯だらけに。
トウモロコシで満腹感を味わえたあたり、このオンネトーに到着。
湖のほとりは透明度が高く、奥に向かうにつれエメラルドにグラデーション。
流れていないのに淀みの少ない湖面。まるで透明なアクリル樹脂で埋め尽くしたような不思議な世界。
海は向かい合うとその力強い波の音で雑念をかき消してくれるけど、湖は静かに自分の顔を映し出してそして受け入れるように水の底にやさしく溶かしてくれる。
澄んだ湖に自分の嫌な部分もいい部分も写し溶かしてみると、なんだかふっと気持ちが軽くなる。
帰りの道中も助手席にトウモロコシの芯が増殖したのは言うまでもない。
2005年09月26日
記憶を託す

これは、東北道のPAから撮った写真。群馬県で取材からの帰り道。
ちょうどこの日
なんでもない景色なんだけど、その時になにを想っていたかをはっきりと思い出せる写真。
ファインダーごしにその感情や記憶を託す被写体を見つけて記録しておいたような。
忘れたくないことがあるときに、そんな風にカメラを覗く自分がいるのかもしれない。
何か想うことがあれば、そのとき見ている景色を撮ってみるといいかも。
2005年09月22日
月光の沢

太陽が表面を映し出すとしたら月はそのものの本性を照らしてしまう。
満月を見て狼男になる気持ちが少しわかる気がした。
真夜中の沢に入り、闇に流れる水音に向かってシャッターを切る。
カメラもまた月の力を借りて、僕の目に写すことのできないものを見せてくれる。
暗闇に映るモニターを眺めながら、見えないものを心で観る月光のような力がほしいと願った。
2005年09月09日
何もしない時間を耐えること

「何もしない時間を耐えること」って最近すごく気になるテーマで、写真を撮る行為にしても、その場所の景色に触れて最初の数分に撮る写真って、どこか記録写真的になってしまう気がしていいなぁと思えないことがあるんですよね。
そんな写真を気に入ってくれること人も多いのですが、むしろ、あまりいいと思えない(でも何かひっかかる)という場所に、しばらく何もせずたたずんでいると、ある瞬間からそれまで気づかなかったものがみえてきたりして、そんなときに撮った写真が個人的には感じるものがあるような気がします。
何もしない時間のはじめの「居心地の悪さ」。
たとえばこれって、映画を観始めた時だったり、小説を読み始めた時に近くて、あ、そうそう、熱めの露天風呂に入ったときなんかも近いかな。
すぐそこから出たくなったり、「何がいいのか?」わからない状態がはじめは続くんですよね。
でも、それをしばらく耐えると、ある瞬間にそこからゆっくりと煙立つ湯気がとても美しく見え始めたり、映画や小説なら、主人の言葉やストーリーの裏にある機微みたいなものが見え隠れし始めたりします。
海をただ眺めているときも同じですね、やっぱりはじめは居心地悪いというか落ち着かない。
でも、そのうち、単調な波が実は毎回全部違う動きをしていて、雲が一瞬たりとも同じ形を作らず背景を描いていることに気づくと、そのすべてがいとおしくなったりしてきて、子供のころのように飽きもせずそこにいられるようになるんですね。
大人になるほどに意味を求めてしまい、情報を意味で切り取ろうとしがちになり写真も説明的になってしまうことが多くて、そして説明的な自分がそこに少し写つりこんでしまっていると、うむ~~と思うわけです。
皮膚感覚が情緒的になる瞬間を何もせずに待つこと。内面と外の世界の微妙な変化を皮膚が感じ取れるようになると、心のひだが色々なものをキャッチしてくれる気がします。
2005年08月28日
ギフト

旅をしていると、不思議な光景にたくさん出会い、そのたびに、なにかをもらいます。
風や木々や土や光、水。そして生き物。
出会う光景に感動するたびに、
「君が真剣に望めば、いつだって君の原動力になる」
景色がそう語りかけてくれる。
景色からもらったもの。このギフトをたくさんの人に送り届けていこうと旅路に思う。
カモメとたわむれる

喜ぶかな。
旅の途中、小さな漁港に行くと遊覧船が出ていてとりあえず乗り込む。
甲板に出ていると「撮ってくれ!」といわんばかりに、たくさんのカモメが近づいてきた。
ちゃんとしたカメラをもってこなかったので、コンパクトなデジカメで「はい」とシャッターを切ってあげる。
でも、カメラに目線くれるのはいいけど、みんな無表情。
そろって結構マジな顔をして飛んでいるカモメを見ているとなんだか不思議でおかしくなってきた。
最後のほうは笑いながら撮影してました。
2005年08月16日
通り過ぎる雲

あの雲になりたいと願う人もいれば、
僕らになりたいと願っている雲もいるかもしれない。
人の生活という不便な生き方や
地に足をつけるという面倒な毎日のほうが、
どれだけ自分を実感できるだろうか。
いろいろな人の喜びや悲しみをただ眺めて通り過ぎる生き方よりも、
その苦悩を感じ分かち合えるような生きたかを思う存分に味わってみたいと。
真剣に願っている雲がいるかもしれない。
ならば、一度雲になってみたい。
2005年08月02日
2005年07月30日
2005年05月01日
2005年04月01日
2005年03月18日
2005年03月16日
2005年03月01日
2005年02月20日
曖昧だけど確かな

空を眺めているといつのまにか、空なんか眺めていない自分に気づく。
フォーカスを無限にしてどこにもピントをあわせないでおくと、さまよい飽きた視線は空のように曖昧な存在を自分の中に探し始めている。
そして、気持ちにあいた穴のような場所を空の色で埋めてくれる。
空と心はつながっているような気がした。
2005年02月07日
花

言葉がみつからない。
本当に「好き」と思えるものを前にしてしまうと、
言葉がすべて空虚に思えてしまう。
伝えようと思う。でも伝わらないもどかしさ。
「言葉がみつからない」という言葉ですら
なにか違う。
2005年02月06日
消えゆく場所

朝、知人からの一報。
高校生の時からお世話になっていた思い出の場所、
中野にある名曲喫茶「喫茶クラシック」が1月をもって閉店した。らしい。
大事な思い出がまたひとつ、
時間とともに薄れていくものリストに追加されてしまった。
変わらないものなんてなにもない。
だからこそ、ありつづける「今」という奇跡に感動するんだ。
先週、店の前を通って入らなかったのが悔しい。
2005年01月13日
2005年01月12日
2004年12月31日
2004年12月30日
2004年12月07日
2004年12月05日
みぎわ

波打ち際にいるといつも不思議な気分になる。
まるで振り子の暗示にかかったような、不思議な気分。
寄せる波をただ眺めていると、体内にある時計が波に同期していく。
そして、常に急ぎすぎている自分に気づく。
今。という時間の流れ。
そんなものすら感じる余裕なく、毎日を過ごしていたんだ。
海をただ眺めて、一日過ごし、
波の音を聞きながら眠る。
2004年12月04日
2004年11月23日
2004年11月18日
2004年11月16日
2004年11月13日
2004年11月09日
2004年11月06日
竜頭ノ滝

滝の上から斜面を流れ落ちる様を眺める。
勢いよく滑り落ちる水を見ていると、色々なものを洗い流してくれるような気が。
橋の上から、ぽいぽい捨てたい気持ちを放り込んでみた。まさに水に流す。ふむふむ。
ついでに滝つぼまで降りてマイナスイオンを浴びて癒されようと階段を歩き始めたら、上のほうから遠足の子供たちが滝のように大量に押し寄せてきて、人ごみに飲み込まれて溺れかける。
結局マイナスイオンは浴びれず・・・。次へすすむ。
2004年10月29日
2004年10月24日
紅葉

紅葉を見に会津へ。
今年は赤く色付く前に、緑の葉がオレンジ色くらいになって紅葉は終ってしまうだろう、と地元の人。
土地の人は、紅葉を移ろいゆく流れでみている。
変化を感じる穏やかな時の流れと、それを感じいる人の情緒。
そんなものを写真に写してみたいと思う。
真っ赤になる紅葉もいいけど、色付かないもどかしい紅葉もなんだかいとおしい。
2004年10月19日
風景の声

水彩色で景色を白い紙に落としてみる。
ぎこちない筆運びで建物に気をとられていると、
ふとした瞬間に雲がキャンバスに入ってきて語りかけてきた気がした。
「僕の格好と場所はどう?なかなかじゃない?」
ふむふむ。
筆をおいて、使い慣れたカメラを手にして、雲の声をシャッターにおさめる。
写生しに来て、写真はちょっと邪道だけどね。
2004年10月16日
2004年10月13日
2004年10月10日
記憶の森

踏みしめた土に残した
過去の記憶を拾いながら
森の中を歩く
幸福や失望
通り抜けるたびに
あふれてこぼれた想いを
道は覚えていてくれる
いつも変わらない表情で
こんな小さな人間の機微を
受け止めてくれていた道
そして整理がついたころ
そっとその感情をやさしい記憶にして
かえしてくれる
2004年10月07日
2004年10月03日
2004年09月22日
2004年09月19日
2004年09月17日
深山幽谷

リンドウを川沿いにのぼると
どんどん心細くなる。
道が行きどまるのは目に見えている。
でも誰も通りそうもない道だからこそ
きっととっておきのなにかに
出会えるに違いない。
渓流のせせらぎが聞こえる
電気も携帯も届かない場所に車をとめて
釣り糸をたらす。
つりに飽きたら、風景をカメラにおさめる。
心が思うままにすごす時間。
釣り人が40cmの魚をつり逃がしたと
大きさを両手で示しながら
悔しそうに語りかけてくる。
ウエスが4mmだから切れたと。
「ほ~っ」と知ったように大きくうなずく。
木陰で本を読んでいると
人懐っこい大型犬が近寄ってくる。
うまい棒をさしだすと、むしゃむしゃ食べる。
雑食だ。かわいい。そんな一日。
2004年09月04日
あめがふるといいな

あめがふるといいな
ぼくはじっと だれかががくるのをまっている
そして
だれかが映画をみているあいだ
だれかと食事をしているあいだ
ぼくは、ひとりになったきみを
だきしめてまもってあげる。
やさしくつよく
けっして離しはしない。
どんなわるい人がきても、
けっして離したりするもんか。
いま、だれかはじめてみる顔のひとが
けいたいでぼくらのことを写している
ひとりで撮るプリクラみたいではずかしい。
撮るならかっこよくだきしめているところを撮ってほしい。
おにいさん、あめのひにまたここにきて。
2004年09月03日
ソラ

あたりまえのことを
あたりまえのことにしたくないから
なんのへんてつもないこのソラを
ぼくは忘れないようにとねがう
でもいつかそんなあたりまえのことを
ぼくは忘れてしまうかもしれない。
だから
みあげるたびにぼくにおしえて欲しい。
あたりまえのことなんて
なにも、ないんだってことを。
2004年09月02日
ハト

「時をとめてあげる」
夕暮れせまる公園を通り抜けようとする僕に
誰かがそうつぶやいた気がした。
うつむいていた顔をあげてみると、
僕と目をあわせようとしない、不自然なハトがそこにいる。
僕はハトをじっとみつめてみる。
そのハトはまったくもって不自然だ。
さらにハトを疑ってみつめていると、
不思議なことに、
僕の世界が、静かに固まりはじめた。
・・・
・・・
でも、そのハトだけは、不自然にぽっぽぽっぽとハトのふりをして動いている。
2003年01月30日
スマートボール

懐かしいものに出会うと、胸が痛くなるのはなぜだろう。
お台場でスマートボールを発見。その色合い、そして玉をはじく音。懐かしくてうれしい。
(お台場に昭和初期をイメージしたショッピングゾーン内にて。この写真はピンボール)








































