溶けゆく日本人

かつて「菊の優美さ」に喩(たと)えられた高いモラル観が、小泉八雲が礼賛した美しい礼節の数々が、日本人から急速に失われようとしている。溶けゆく日本人の姿を連載で追う。

[ 【溶けゆく日本人】携帯の奴隷|生活|生活・健康|Sankei WEB ]より引用
Accessed Date:2007年6月18日 22:00:31


このシリーズ。先日終わってしまったのが残念ですが、面白いので、ぜひオススメです。
ちょうどつい先日某温泉に行ったときに、露天風呂に父子の親子連れがやってきて、湯船にダイブして入ってきた子供を「こらこら、プールじゃないんだからやめなさい」とその親が注意したものの。
「ここはプールだもん?」といって、僕の背後にある岩山によじのぼって、再度ジャンプ。


こういうときは、プール云々ではなくて、人様に迷惑かかるから・・と注意すべきじゃないかなぁ・・と思いつつ、岩山からダイブしようとしている子供を注意しない父親に腹が立ち、子供にはかわいそうだけど、ジャンプして思いっきり水しぶきあげたその瞬間に、
「こら!どこやと思ってんねん!」と、怒るとでる関西弁で怒鳴ってしまった。
で、普通だったら、そばにいた父親が「ご迷惑かけてすみません。ほら、○○、あやまりなさい」とか言うんだけど、(実は最近温泉とかのマナーが悪くて、同じことが2度つづいた。)、どっちの親も、まったくあやまりもせず、むしろちょいにらみ気味に、去っていくんですよね。で、子供は「しゅん?」として、おとなしくなる。
温泉に癒されにきたのに、結局そこに残された自分だけ後味悪?と思いつつ、子供にはかわいそうなことしたなぁと思う反面、なんで、そばにいる親は自分の子を注意しないのか。いつもその一点が気になる。
なんて考えていた矢先に、この連載をみつけて、思わず読みいってしまった。
この連載によく出てくるキーワードで「過保護」というのがあるけど、それがどうして目立ってしまっているのか?
ヒントを探していて、気になったのが、核家族化の問題と携帯電話やインターネットなど個がつながりあうことができる反面、家族や地域といった社会との関係が希薄になってきたこと。
ネット社会によって、つながりが増えたように感じるけど、ひとつひとつの線の強度はむしろ弱弱しくなってしまったのかもしれない。
また、地域に怖いおじいちゃんがいなくなったという指摘もよく言われるけど、僕もまず温泉にはいって、騒いでいる子供を一喝してくれる怖いおじいちゃんを探してしまう。
で、結局いないから、僕が「おら??」ってやってしまうんだよなぁ。別に買って出てやりたいわけじゃないんだけどね。できれば、あと50年はやりたくない。
子供が騒ぐのはしょうがないと思う。でもそばに親がいたら、他人に怒られる前に怒ってほしい。もしくは他人に迷惑かけてしまったら、親が率先して謝って子にしめすべき。ホント。
子育ての問題は僕にリアリティがないから言及するのも野暮だけど、この連載のようにせっかく日本人がもっていた良い文化が損なわれていく原因の一つに、パソコンやインターネット、携帯電話が関与しているのだとしたら、僕も大きくかかわっているだけに見過ごせないテーマになってくる。
これからユビキタス(どこにいてもつながった世界)やメタバース(仮想現実の空間世界)など、ITが僕らの生活や情緒に今以上に影響してくる時代がくるのはあきらか。だからこそ、いまあるサインから読み取っておかなければならないことが沢山あるような気がしてならない。
インターネットに僕らはどんな未来をみていたのか? これから向かう世界に向けて膿をだしている時代なのだとすれば、いまのうち出すだけ出しておくのもいいと思う。
臨時国会の開会中に「携帯電話をお切りください」とあえて指摘された議員のように、こういったことが沢山おきて前向きに考えるきっかけになればいい。
社会全体がITの恩恵を大きくあやかりはじめていて、企業個人問わず猫も杓子も必死にITを学ぼうとする時代。ただ、そこから何を学ぶべきなのかは、問い直される時代にきている。

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