2−3年ほど前に被災地支援の会合でお会いして、アメリカのネイティブインディアンのお祭りに毎年参加しているというエピソードに思わず、会合終了後「お茶のみ友達」になった友人。
以前からネイティブインディアンの本は何冊か読んでいて、4日4晩山の中で一人断食するというビジョンクエストというインディアンの儀式とかは知ってはいたものの、実際に体験した人にはじめて出会って、いろいろと聞かずにはいられませんでした。
今の時代に足りてないなにかがそこにある気がしていて、いつか体験してみたいと思っています。
祭りと自己肯定感
最近この「自己肯定感」に関してよく考えます。
人はなぜ、(特に日本人は)自分に自信がもてず、他人を尊重しずらいのだろう?という問題です。
幼少期の環境や脳の問題、宗教観や世間などの共同体幻想など、様々な視点がありますが、今日友人と話をしていて、改めて感じたのは、「祭り」が足りていないのではないか?という視点。祭りが自己肯定感に寄与しているという仮説です。
その関係に二つの視点があります。
つながりを感じること
まず、一人で生きているという幻想をもつこと。これによって、つながりが途絶えて、不安感が増幅します。
「祭り」とは仲間や、土地や大きな自然などとつながっている感覚を呼び戻すものなんだと思います。
今を感じること
もう一つは「踊り」 音楽にあわせて体を動かすことは、過去や未来ではなく、今を感じ入るもっとわかりやすい方法。
多くの人は、悩みや不安といった思考に囚われて生活していますが、踊り太鼓には、そうした思考から解放するフローを作り出す作用があります。
「つながり」や絆を感じ、そして、過去や未来に囚われず、「今」に身を委ね感じ入ること。
そうした強烈な体験から、人は大きな元気と安心感をもらうものだと思います。
僕は、故郷や村祭りもなければ、地域社会とは切り離された生活をしてきたので、そのすべては憧れに近いものがありますが、過酷な儀式に参加する友人の話を聞きながら、理屈を超えたすごく太い(信頼的な)なにかを得ているそんな気がしました。
僕の周りでも「祭り男」は、エネルギーがあって、笑顔が絶えない人が多いです。
たった一年の数日しかない祭りが、残りの日常のエネルギーになっているなんて信じがたいですが、これこそ、僕らに足りていない現代の盲点なのかもしれません。
消費税も増税されて、社会保障なんとかと、それっぽい話題が並んでいますが、そろそろ日本人の根本的な自信や笑顔を取り戻すような、コミュニティやつながりを重視する祭りや、「ええじゃないか」みたいな民衆ムーブメントが起きてもええんじゃないか?