現代アートは作品の前に行って、そこで何かを感じている(しまう)自分に出会う楽しさや、作品と「解釈」という会話を楽しめるところが醍醐味。
ターナー賞ではビデオアート系の作品に心動かされて、多くの時間を費やしました。
まず、ジリアン・ウェアリングの「60分の沈黙」(1996)を前に、「いつになったら終わるのだろう」と作品を観ている自分がいつのまにか作品の中に映し出されてしまうようなそんな不思議な感覚にとらわれ、マーク・ウォリンジャーの「スリーパー」に至っては、退屈が一定を過ぎると緊張に変わる妙な気分に襲われ、何気ない熊の表情に意味を見出そうとして馬鹿らしくなり、スティーヴ・マックィーン「無表情」に至ってはドリフ寸前で、でも<解説>こうも解釈できるのか・・と現代アートの奥深さを知るのでした。
同時開催している「サスキア・オルドウォーバース」のビデオ作品はターナー賞とはあきらかに違う深読みせず楽しめる文学的な世界観で、幻想的な映像世界に観た瞬間から引き込まれます。
こうして言葉にしようとすると伝わらないもどかしさが残ってこそアート。ぜひ、今週末で終わってしまうので、気になっていたけど見逃した!!という人は、ぜひ足を運んでみてみてください。
あの物議をかもした話題作デミアン・ハースト 「母と子、分断されて」も展示されています。みんな平気に分断された間を通過してましたが、(中には理科の授業のように、じっくりと子供に解説しながら歩いている親子がいて、「ここからウンチがでるんだよ??」って、会話が微笑ましかった・・)。
というかターナー賞に子供をつれてくる母親ってそれだけで素敵です。