人はそれが「好き」か「嫌い」か? はわかる。
でも、どうしてそうなのか? はあまり考えることはない。
それを理性的に考えるにはある種の強さが必要だから。
たとえば、人を誹謗中傷してしまうとき、その言葉が自分のどこから来るのか? を注意深く観察できる人は少ないと思う。
自己との対話ができる人は、相手の中に自己と同じものを見つけ、中傷する前に、相手との対話を試みようとするチャンスも見えてくる。
この映画は、「考えることをやめない」という哲学のあり方を教えてくれたと同時に、また、この主人公とて、完全な人間ではなく「思考」というモンスターに勇敢に挑みながら、自らも友を失い、傷ついていく様に、「正しさ」だけでは世界を斬ることはできない、深い「問い」を最後まで投げかけてくれる。まさに哲学に満ちた「考えさせられる」映画でした。
物語の舞台は、1960年代初頭。ナチスの親衛隊将校で、数百万人ものユダヤ人を収容所へ移送したアドルフ・アイヒマンが逮捕された。哲学者のハンナ・アーレントは、自ら希望して彼の裁判を傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを書くこととなる。実際に裁判でのアイヒマンの発言を聞くと、アーレントは、彼が残虐な殺人鬼ではなく、ヒトラーの命令どおりに動いただけの〝平凡な人間〟なのではないかと感じるようになる。レポートでは、その点を指摘。さらに、ユダヤ人指導者がナチスに協力していたという新たな事実も記したことで、発表後、世界中で大批判が巻き起こる—。
引用元:映画『ハンナ・アーレント』どこがどう面白いのか 中高年が殺到! | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
人の弱さに挑むための強さとは
この映画のテーマでもある、悪とは、悪魔的なものではなく、凡庸な人間にある「誰か他の人の立場に立って考える能力」という思考の欠如が生み出すもの「悪の凡庸さ」にある。という点。
自分の善悪という観念ではなく、他者の命令に従い(自己)思考を捨てる(ある意味人間性を捨てる)ことでしか、身を守れない人間の「弱さ」に悪が宿るという考え方。
これは戦時中に限らず、この時代においても考えさせられるテーマです。
このテーマで思い出したのが、バリー・シュワルツ「知恵の喪失」のTEDトーク。
「規範を守るあまり、人としての品格を失ってしまうのではなく、人との関わりあいの中で育む力を大切にしなければならない」という氏のメッセージに通じるものがあります。
ハンナは、裁判にかけられたアイヒマンを観察し、「彼は多くのユダヤ人を自らの意思で残虐にも殺害したのではなく、上からの指示に官僚的にただ従っただけだ」という擁護とも取れる記事を書いたために世論から多くのバッシングを受けます。
しかし、多くの人が彼女を攻撃したのは、ナチを擁護したという感情的な面だけでなく、多くの人に内在する「弱さ」に触れてしまったゆえ、防衛本能的によって反感を生んでしまった気もします。
彼女の「強さ(正しさ)」がそうした「弱さ」を批難したのではなく、彼女自身もまた自己を守るために、自らの生きにくさを考え抜くために「哲学」を選び、人をそして力強く自己を観察することを選んだのだと思います。
ただ、彼女のように、多くの大衆が「強くなること」「考え抜くこと」で身を守る術を会得できていないという面、「大衆の弱さ」を低く見積もりすぎてしまった面もある気がします。(現代においても、同じかもしれませんが)
世論の大きなバッシングを受け、映画の最後に自らの考えを学生や学者の前で述べるシーンがあります。そこに彼女の思いが詰まっており、素晴らしいスピーチですが、同時に彼女の一人の人としての限界も見え隠れします。
これだけ勇気ある生き方をしている彼女に誰も反論できないからこそ、感情的な反感を買ってしまいますが、それが彼女の生き方であり、そうした彼女のあり方に耳を傾けられる時代になるまでは、戦争の傷は容易に癒えてはいなかったのかもしれません。
最後のスピーチの解説があったので、スピーチ部分の一節を引用します。
「(アイヒマンを)罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。『自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ』と。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪推も悪魔的な意図もない。(彼のような犯罪者は)人間であることを拒絶した者なのです」
引用元:映画『ハンナ・アーレント』どこがどう面白いのか 中高年が殺到! | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」
引用元:映画『ハンナ・アーレント』どこがどう面白いのか 中高年が殺到! | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
彼女は大衆の中にある「弱さ」をないがしろにしたわけではなく、ただ一方的に悪を仕立てて、感情的に攻めたてることで納得しようとしてしまう、逆説的な思考停止感を恐れたのだと思います。
だからこそ、真実を見抜く強くさをもて。と願う自分自身のあり方をもって、大衆にメッセージをなげかたけたのでしょう。
ただ、正論は時として多くの人の感情を揺さぶり過ぎてしまい、弱さを否定してしまう。高名な哲学者の名を持つ彼女の中にある弱さが伝わらない。伝えられないところに、まだ彼女の不完全さがあったのかもしれません。
でも、僕ら日本人にはなかなか持つことができない、自分の信念をもって強くあろうとする生き方に、多くのヒントやメッセージがあります。
同調圧力に負けず、自分の目で見て、自身の信念を貫く強さ。
それは同時に、多くの犠牲を払ってしまうこと。それを含み置いて逃げずに考え抜くこと。
この映画を思い返すだけで、自分にも足りない多くのことが反芻できた気がします。
2度3度観るにふさわしい映画でした。
最後にあえて加えますが、戦争は絶対に繰返してはならないものだと思います。