この映画のことをよく「現代アメリカの社会像」と評している記事をみかけるけど、黄昏の時代を迎えている、現代日本にも通じる。
僕らはどうやって、人生という旅を終えるのか?
若い頃には考えもしなかったテーマを、この映画はやさしく突きつけてくる。
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の「ノマド(遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう。
ノマドランド の映画情報 – Yahoo!映画
キャンピングカーでノマド生活というと、アメリカ的ブルジョアなイメージもあるけど、ここに出てくる暮らしは、ウサギ小屋と呼ばれる日本の家屋くらい、小さく質素な暮らし。
そして旅先出会うほとんどは高齢の独り身。女性の数も多い。
リタイアメントして悠々自適のノマドライフ。とは程遠く、日本でいう、(悠々自適な年金暮らし)ではなく、先行き不透明なお年寄りの独居ライフ。
ハリウッド映画なのに、とてもリアルな現実が展開される。
わざわざお金を払って映画を観て、なぜこんな身も蓋もないストーリーを観せつけられなければならないのか?
これまで、人生の希望をハリウッド映画に求めて、幾度も味わってきた高揚感。
そんな未来は、どこにもないんだ。と。説教されているような気持ちになる。
でも、それは絶望感ではなく、あらたなリアリティであり決意。そして終わりのはじまり。
不思議と直視する現実に、目を背けたくなるか?というと、逆に、2時間まったく目が離せない。
むしろ、その生活をどこかでワクワクしながら観ている自分もいる。
サヨナラのいらない人生
主人公は住み慣れた土地やコミュニティを離れ、バン生活をしながら季節労働の旅に出る。
ノマドになるほどに、孤独感や喪失感は増すはずなのに、彼女はノマドになる道を選ぶ。
それは、陳腐な言葉でいえば、過去や未来ではなく今を生きるために。
この映画に共感したのは、安易に結論づけた、未来や過去を映し出すのではなく、むしろ、暗い現実のなかにある、小さな光をただありのまま映そうするところ。
観ているものは、その消えかかりそうな灯火の先に、ささやかな希望を見出し、それでも生きて行こうとする力を与えられた気になる。
どんな光でも暗がりでみれば、まばゆく輝いているように。
老齢化した時代に、夢や希望ではなく、現実を観よ。と冷たく突きつけているのではなく、
未来や過去をみすぎて忘れてしまった、「現実との向き合い方」を優しく教えてくれる。
そんな映画でした。
旅を続けていれば、どこかで必ず会える。
だからサヨナラはいらないのだと。
サヨナラを恐れなくていいのだと。