バタフライ・エフェクト

これが、twitterでフォロワーが500万人いるという話題のアシュトンカッチャー。

というのはさておき、とても切ないラブストーリー。

自分の過去を書き換える力をもった主人公が愛する人の幸せのために、過去に戻り干渉を繰り返すが・・・。

ちなみに、この映画には、劇場版に3つのエンディング。セルDVD版にディレクターズカットのエンディングがあり、全部観てみたのですが、作品としてはやはりディレクターズカットがずしんと来るものがあり、考えさせられるエンディングになってますが、劇場版は映画らしく少し切なげにまとまっています。

個人的には劇場版くらいでちょうどよかった気がします。

「もし、あのときの過去に戻れるとしたら・・」

そして、やり直して別の道を歩んでいたら今頃・・。誰もが考えるプロット。僕もよく考えます。

でも、少しばかげているように思えるのですが、世界には複数の同時世界があって、いわゆる僕らが生きている世界って、過去に何かを選択する度に、選んで枝葉した分だけ無数の人生が同時に存在しているような気がしています。誰かに「選ばれた」一本の道を歩んでいるように見えて、それを意識し、自分で「選び直す」ことで、人は色々な路線を行き来できるものなんじゃないかって、結構、まじめにそんなこと考えていたりするのですが、まさにそんなことを感じさせてくれる映画でした。

それは、「過去に戻る」というのではなく、意識して自分の人生を「選択」する。という行為。この映画は、「過去に戻る」というプロットだけど、この主人公の能力の見方を変えれば、同時に存在している別の可能性を横に移動できる人。なのだとも言えるし、過去を変えるのではなく「今」を変える行為と考えれば、そこから未来を作り替えることは特別ではない。ということを大きく示唆している気もします。

この映画のタイトルがバタフライエフェクト(カオス理論)なあたりも、一見あり得ないと思えるどんな世界もあながち可能性がゼロとは言い切れないのでは?と問い直そうとしているし、僕らが信じている「現実」の読み方を作者は問い直そうとしているんじゃないかと深読みしてみるのも面白いです。

ちょうど、映画とは全然別のところで、似たようなことを最近考えていました。

「人は自分の思い通りの人生を歩める」「会いたいと思った人に会える」

そんな話を複数の別の友達から同じことを言われたのですが、それは素直にそう思えます。自分の過去を振り返っても、理屈抜きにしてそんな風に思えることを何度も感じたことがあるので、疑いはしないのですが、問題は「思い通りの自分の未来」をうまく描くことが、実は簡単じゃない。ってこと。

こんな自分にとって都合のよい未来ですら、人は意識的に創造しづらくて、選択する度に、たまに望む未来(と思っていた未来)がわからなくなってしまうのです。

選択する力は望む未来に向き合う力とも言えますし、同じ言い方をすればクリエイティビティって、実は表現力や描写力というスキルの前に、根本的に自分が望む未来に真摯に向き合っていけているか?という資質に大きく影響されるのだと思います。

過去や未来を変えるのではなく、自分が心地よいと思える現実を見つける力。うまく言えませんが、この主人公のように、本当に愛する人のために、どうあるべきなのか? 究極の選択を最後に選び抜きますが、(ディレクターズカットが最究極です)過去を変えることではなく、この選択の発見こそが、この映画の軸であって、こうして選択して実行することで現実は変化する。ということを暗示しているメッセージだったのではないかと思います。

とても面白い映画でした。映画を誰かと観て語り合って哲学したくなる。そんな映画です。

だれか観たら夜カフェ行きましょう。

バタフライエフェクト

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