話しに熱がこもりすぎ、気付いたら食後のドリンクに入れ替わってました。せっかくのご馳走逃してしまった・・
帰り際、原稿をまとめようとネット喫茶に立ち寄るも、今日は全然集中せず。快適なネット環境は逆にないほうが、邪念もはらえて、いろいろあきらめもつくのかもしれない。
今夜も天気もよいので歩きながら、いろいろなことを考えながら帰宅中。
いつも気になっていたお店の前を通りかかる。じっくりメニューを見るといい感じ。
駅前のざわざわした場所よりも、駅から少し離れた路地にあるお店。
こういうところは客層も落ち着いているはずだし、きっと場所柄工夫してないと続かないはずだから、きっといい店に違いない。と予測。
こんどこよう。
てくてく・・
バランスが大切だなぁと思う。
仮想世界にいると、現実にはできないことができるようになる。これは「試してみたかったことや夢への挑戦」という意味ではポジティブでもあるけど、物理的な制約や障害がない分、なんでも「できる気」「やった気」になってしまう。
バランスよく仮想世界で得た自信を現実にもちかえれればいいけど、その配分を間違ってしまうと、仮想世界での自分=現実の自分がなんだかすごいものだと勘違いしてしまう気がする。
全能感っていいすぎかもしれないけど、仮想世界やネットやゲームで見いだした自信を壊さないように現実を生きることは、本当の意味で現実を生きていないことなのかもしれない。
IT社会で得た自信を現実で少し壊して謙虚にもつ自信くらいのほうがバランスがいい気がする。
ネットではうまく行っているのに、アクセス数もすごいのに、現実では、なかなか思うようにならない。と思えてふつうなんだと思う。
現実はやはり自信のない自分に直面してしまう世界。
不思議と自信に満ちた笑みを浮かべた人を横目で見ていると、それは現実で得たものなのか、仮想世界で得たものなのか、その源泉を知りたくなる。
道ゆく小中学生や高校生の子をみていて、むしろ自信のない顔をしてとぼとぼ歩いている姿をみるとすこしほっとしたりする。
プロスポーツ選手だって、自信に満ちた笑みを浮かべている人はいないような気がする。
それは、人一倍自分自身に葛藤しているからなんだろう。そんな人が自分に打ち勝とうと必死に作る笑顔にこそ、人の表情を感じる。
これから、ネットがユビキタスにどこにいてもつながる社会は目前。携帯がすでにどこにいてもつながるように、仮想社会への入り口も現在のようなパソコンの前にすわらずとも、空気のようにどこにいてもつながる世界。
かけた眼鏡の向こうにそんな世界が投影されているSFのような時代を僕らは生きているうちにきっと目の当たりにすると思うけど、そのときの道行く人の表情がとても気になる。
それでも、このネットの世界に僕らが豊かに生きるためのヒントをみつけていきたい。
なんて、つらつら考えながら歩いている僕はどんな表情をしているんだろう。
また、考え直してポストします。
現実世界は自信を失う世界なのだと思う。それでいい。
狭い道を歩いていたら後ろからママチャリにのった50歳代の男性が。
すっと道をあけたら
「ありがとうございます。」
って丁寧に挨拶して走りすぎていった。
なにもしていないのに、そんな風にいわれてなんだかうれしくなった。
そんな風にいえるおじさんの背中を尊敬のまなざしで眺める。夜。