「陰陽師」といえば、夢枕 獏原作で野村萬斎演じる安倍晴明の映画「陰陽師」が新しいですが、本当に室町時代に呪術師が宮中に実在したのかどうか、史実は果たしてどうなのだろうと読んだ本。(書いている原稿の下調べもあり)
文章で読むと音読できない言葉が羅列して難解なのですが、それでも、荒俣 宏さんのわかりやすい語り口と言葉の使い方が好きで、冒頭から荒俣ワールドにぐいぐい惹きこまれてれて一気に読んでしまいました。
安部晴明を頂点にした陰陽師が実は祈祷や易などを用いたお祓いや呪詛(じゅそ)といった魔術師的な側面ばかりでなく、風水や天文学はもとより、芸能や宗教、土木、建築などを束ねる(今で言えばプロデューサー的な)役割で人々の生活に根をはり明治の神仏分離令でその姿を消すまで実在していたこと。
民俗学の視点でみると、陰陽師に限らず日本には様々な信仰や儀式、芸能が混在していて、地方に行くとお神楽やお祭りが現存していることを考えると、IT化した現代とはいえ、ついそこまで、私たちはそういった世界をあたりまえのように受容して生きてきたんだと思います。
今でも普通に大安吉日や仏滅といった縁起をかつぐことだって、その名残なんでしょうね。
宮中における安倍晴明のような、華やかで雅な文化にも心惹かれますが、この本を読んでいるとむしろ、室町時代以降、そして明治という最近までの日本の生活の中ににあったシャーマニズム的な民俗のあり方や、それを受け入れて多様に変化してきた、日本人独特の宗教観みたいなものに、色々な驚きや発見があり探究心をくすぐられます。
ともすれば、そんな当たり前が急速に失われてきている現代の日本ってこれからどんな風に変化していくのか、色々考えてみたくなりました。
そんな平成の時代に「映画」という新しい芸能世界や漫画などに「陰陽師」が再び語られたこと。2002年には、能の舞台でも陰陽の伝統的な祭りをテーマにした舞「泰山府君」が40年ぶり、その前にさかのぼると240年ぶりに上演されたらしく、そうやって、姿を変え1000年たったいまでも、この地に息づいていることを考えると、その生命力というかミームの力に驚かされます。
そして僕がこうやって、ネットという世界にこの言葉を書いてしまっている時点で、すでに伝承の一端を担ってしてしまっている(というのは、かなり大げさですが)と思うと、次の100年後にもなにかの形で陰陽師は存在しているのだろうと思います。
IT化社会に失われていくもの、生まれてくるもの。まさに時代が激変していく様を同時期に見合わせているのですが、日本の文化や伝統をまた違う形で継承していく舞台がまさに、ITの役割なのではないかと思いました。
この本を読んでしまうと、その中身の濃さに、ブログなんかで書くにはばかる内容なのですが、荒俣さん好きな人、陰陽師好きな人、一度は読んでみるといいと思います。
失いかけていた日本の何かを思い返すきっかけにはなるのではないでしょうか。