人は関係性や社会性を必要とし、そしてそれに苦しむ生き物。自分の恥の意識や心のもろさを受け入れ、「自分はよくやっている」と信じなさい。そうすることで、自分が関係性をもつに値しないという否定的な考えから抜け出せる。
という内容でした。若干、すっと頭に入ってこない内容だったと思います。
自分がそう簡単に「恥」や「心のもろさ」を受け入れて、自己肯定し、心を開いて穏やかに人と接していられていないからだと思いますが、とはいえ、このスピーチのテーマは僕にとっても、とても関心のあるテーマなので、自分なりに続きを考えてみたいと思います。
エゴとの戦い
このスピーチでは、人との関係性において自己肯定感を得られない原因に「恥」と「心のもろさ」を指摘していますが、聞きながら考えていたのは、自分の中にある「エゴ」についてです。
人に認めてもらい”たい”。や、必要とされ”たい”。というソーシャルアニマルである私たちの根源的な欲求は、認められてい”ない”。必要とされてい”ない”。という不安から来るものだと思いますが、そうした(〜し”たい”)欲求は、「ない」から求めるのであって、すでに「あれ」ばそうは思わないのだと思います。
観念的ですが、僕らが克服しなければいけないのは、この部分だと思います。
本当に「ない」のだろうか?そう問いなおすことの必要性。
足るを知る
京セラの稲盛さんの言葉で「足るを知る」ことの大切さに触れた一節があります。
「これだけでも十分ではないか」という、
via: 稲盛和夫の名言
「足るを知る心」によって初めて、
人間は幸せを感ずることができる。
そうすれば、今自分が生きていること、
そのことに対しても心から感謝をすることができる。
「足るを知る」はエゴを克服する呪文であり、過去や未来といった「今」ここに「ない」ものに対して、必要以上に求めてしまう苦しみから解放してくれる言霊だと思います。
彼女のスピーチの結びにもありますが、
もっとも重要だと考えるのは、自分はよくやってると信じることです。
自分はよくやっていると言える立場を信じて
主張するのではなく周りに耳を傾け、
もっと優しく穏やかに接すれば、
自分自身にも優しく穏やかになれるはずです。
(ブレネーブラウン)
自分を肯定するのは、簡単なことではないと思います。また「恥」の文化でもある私たち日本人にとって、告解(神に懺悔)すると気が楽になるような宗教的な習慣や術がなく、常に八百万の神に観られている私たちは、強く心に誓っても自分の納得よりも周りの評価を常に気にしてしまうもろさを持っています。
いまあるものだけにフォーカスする
人との関係性は目に見えないからこそ、苦しみますが、必要以上に承認されたいと願う自分の「エゴ」を発見するだけで、大きく前進する気がします。
関係性に苦しむ際にそうした感情を回避するために、人は感情を麻痺させてしまうが、
その行為は、苦しみだけでなく喜びなど他の感情までも麻痺させてしまう。
関係性の苦しみはきっと「今」ではなく「過去」の体験から来ます。でも、「今」目の前には存在し「ない」ものに苦しむのはやめて、目の前に「ある」ものを楽しむ力が身に付けることも大切。
認められよう、承認されよう。必要とされようと強く思わなくても、過去はどうであれ、「すでに健康に今ここに生かされているだけで充分じゃないか」と開き直って思えればそれでいいのだと思います。
専門家ではありますが、米国人の彼女に比べれば、日本人の僕らの方が、人の顔色をうかがい関係性に苦しんでいている民族的、文化的キャリアは当然高いはず(笑)
だからこそ、彼女のスピーチに物足りなさも感じますが、一番深く理解できるのかもしれませんね。