育ての親か産みの親か。
福山雅治もリリーフランキーもキャスティングどれも素晴らしく、「よい家族とはなにか?」「よき父とはなにか?」じんわりと良質な問いをなげてくれる映画でした。(ネタバレ注意)
これからの時代の家族、そして父
一流企業に勤め、高層マンションに住む福山雅治演じる主人公。片方、片田舎の貧乏な電気屋を営むリリーフランキー一家。
まさに、現代の都市生活者一人っ子家族と、昭和な雰囲気を残す子沢山ファミリー。でも、よく観ると、仕事一直線の父と、貧乏ながら子煩悩な父というのは、前者のほうが昭和風で、後者のほうが今風の家族感に入れ替わっている気もする。
描き方的には、仕事人間で、「父親失格」の福山雅治が、リリーフランキーの底辺ながら慎ましい家族感に感化され葛藤をへて「父になっていく」という成長ストーリーに読めるけど、そう読み切ってしまうには少し疑問も残る。
リリーフランキーが「これだから負けたことの無い奴は、人の痛みがわからないんだ!」と批難の言葉を浴びせるシーンがあるけど、むしろ福山ははじめから子育てに関して自身の家族との確執もあり、フランキー一家には負けていることをどこかで自覚している。
自身の父親や継母との関係に溝があったからこそ、彼は自立を選び、勝ち取ってきたわけで、
安定した家族愛を受けて育ったフランキーは、新しい何かを勝ち取る必要もないので、きっと親から受け継いだ田舎の電気屋で、その分困窮しながらも素直な生き方をしているのだろう。
見ていて単純に彼を批難できないところか、昭和社会をどっぷり体験してしまった自分としては、むしろ父親失格の福山に共感を感じてしまう。
良き父親を知らない彼なりに、現代のよい父親になろうとしたのだろうと思う。
終身雇用の終わった現代に、福山的企業戦士的父親像はたしかにそぐわないけど、家族のあり方も、これまでの家族像ではないはずだし、ましてや家族や夫婦も終身雇用とは限らない時代にきている。
この極端な家族像のどちらが正しいという映画ではなく、その狭間にある、現代の家族のあり方を問い直している映画。
最後に、両家族が結論を出さずに曖昧に解け合って行くシーンが、核家族化している現代の「家族」という制度疲労を打破する、これからの新しい家族のあり方やコミュニティのあり方を示唆しているような気がした。
「そして父になる」のは、家族を犠牲にしてきた企業戦士的な父親像に対する戒めではなくて、こうしたステレオタイプ的家族を捨てて、新しい父親像を獲得することを意味しているのではないか?
この家族が家族を超えて解け合って行く時代。産みの親も育ての親も超えて、心を通わす家族同士のあり方を教えてくれた気がします。とても、優しい気持ちになれる、素晴らしい映画でした。
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