インターネットと哲学

インターネットのコンサルや教育を行っているのは、単に技術を教えたいんではなくて、インターネットそのものの存在が(幸せとはなにか?自分とはなにか?)といった哲学を学ぶ教材としての魅力的だからなんです。

人は究極、執着や不安と向き合いながら、喜びや悲しみの中から生きる実感や意味を求めて、死んで行くんだと思います。その通過点に、Facebookのいいね!で一喜一憂したり、フォロワーが増えたと喜んだりしているに過ぎず、そうした行為が悪いのではなくて、その行為や現象から何を学ぶか?のほうが大切です。

仕事もきっとそうです。お金が欲しいからという理由はあるのですが、それ以上に自分の居場所や役割を見つけたいがために、会社に行き、仕事をしているのだと思います。

だから、僕がやっている教育やコンサルの仕事も、メディア戦略によって目の前の人(僕と向き合っている担当者)が、よりコミュニティ(その人が属している会社やチーム、ひいては社会)に貢献できるためのお手伝いをしようと思っているに過ぎません。

誰のためのインターネット?

目指すところは、ITコンサルや教育を通じて、その人を元気にすること。

(もちろん、励ますだけでなく、評価や結果をだすための知恵を一緒に探すお手伝いをします。)

だから、ネットの担当者になって、社内にもっと貢献したい!と思う人は、会社を説得して沢山経費捻出してぜひ僕に依頼してください。

ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、会社の規模やその人の肩書きや優秀さではなくて、もがいたり悩んでいたりしていても、仕事や教育を通じて、よりよい生き方のために一緒に学びあいたいと思っている人を応援したいと思っています。

あくまで仕事はきっかけなのだと思います。

そういう人との出会いは、僕にとっても大きな学びを与えてくれます。

By: anna

承認欲求

安直な言い方になってしまいますが、僕がパソコンやソーシャルメディアの術をより沢山の人に知ってもらいたいのは、「人から必要とされたい」という誰もがもっている欲求を比較的簡単に手に入れられるからなんです。

パソコンできます。インターネット得意です。って、金融工学学んでます。とか一級建築士に比べて、社会に必要とされている割に、誰もがなれるパフォーマンスのよい領域なんです。

しかも、毎年新しい技術やサービスが出てくるような、歴史の浅い領域なので若い人(むしろ)でもできるのが特徴です。

おじさんたちや、権威的な人がことごとく苦手なのもいいですね。若い人に権限委譲できる数少ない領域がこの世界です。

なぜ、こう断言できるか?というと、僕自身がその恩恵をむちゃくちゃ受けているからです。

僕のコンサルや教育活動は、その恩恵を返す行為で、それは偽善ではなく、どんどん返すことで徳に(笑)なるからです。
得になるんです。

ネットワークの恩恵は占有できるものではないです。

シェアしてなんぼだし、シェアするほどに自分の内側と外側の境目が溶けて来ます。(それが「貢献」の本質的な姿です。)

承認されるためには、貢献(シェア)することです。そのうまい塩梅を見つけられると人は幸せを実感しやすくなります。

その塩梅を理解して実践できようになると、いつのまにか会社という小さなコミュニティではなく、もっと大きなところに貢献できているようになります。むしろ、貢献なんてこと考えなくても、インターネットに出会ったという事実だけでワクワクして、ご飯三杯くらいいけるようになります。

20年近くこの世界にいますが、本当に実感してます。ネットやっててよかったな。と。そして、すごくエネルギーになっています。

でも、このネットのワクワク感って一体なんだ??これが僕にとっての哲学への入り口なんです。

このあたりは、また別エントリーで!

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