最近、「人生がときめく片づけの魔法」こんまりさんの記事をよく見るので、改めて思い直してみました。
[amazonjs asin=”4309287220″ locale=”JP” title=”片付けの魔法”]以前の巫女さんのような可愛らしい印象から、欧米化したルックスというか、ちゃんとメディアや文化を戦略的に捉えている印象があって、やっぱりこの人は(幸運みたいなのもを)持っている感がすごいというか、世界で通用する本質を持っている人なんでしょうね。
思えば、この本の影響はとても大きくて、さまざまな本を読んできた中で、これくらい具体的に短期間に影響がでた本はなかったように思います。
なにがこの本の魅力だったのか?ちょっと考えてみたいと思います。
シンプルなロジック
ときめきメソッドはもちろん具体的でキャッチーなのですが、「ときめき」も「スパークジョイ」も、それ自体は女性的で僕にとってしっくり来たものではありませんでした。
- まず洋服からはじめる。
- 部屋ごとじゃなくジャンルごと
- 片付けは祭り。一気にやり終える。
- 床にぶちまける。
このくらいのメソッドで十分というか、理屈はこれで十分合点が行くんですね。
行間から滲んでくる存在感
でも、わかりやすい指導の隙間に見え隠れする、覚悟を問うような鋭い視線が押し付けがましくなく、背筋を凛とさせるような不思議な感覚がこれまでの片付け専門家にはいなかったスタイルだったんだと思います。
片付けしている最中に、ふと振り返ると、こんまりさんがそこにいるような感覚。
一見ほんわかした風貌に見え隠れする、甘えを許さないストイックな視線。そのギャップが萌えというかエモいというか。
ちょっとMっ気をくすぐられる、脳内片付けプレー。そんなところが、こんまりさんの不思議な魅力だったように思います。
偏愛的な片付け愛
そのバランスが絶妙なのは、やはり、文体から滲み出る、彼女の「片付け愛」のようなもの。その本物さが鋭くて、バサッと斬られても痛くないのだと思います。
片付け本は相当数あるのですが、なぜか頭にすっと入ってこないんですよね。
言ってることはみんな同じなだけに、その差別化部分に気を取られて、脳内の情報が無駄に増えてしまう。
身辺整理したいのに片付け本が増えるという矛盾。
もちろんこんまりさんにも戦略的なポジショニングや、マーケティング的視点も感じるのですが、本人の片付け愛のブレなさと巫女さん的キャラが、まず頭の中の雑念をうまく片付けてくれて、言葉が自然に入ってきた気がします。
これだけ情報が溢れていると書籍はコンセプトや切り口よりも、執筆者のキャラクターがより重要になってくるんでしょうね。
彼女が欧米でも人気なのは、メソッドよりも彼女のキャラクターやブレないスタイルが受け入れられているんだと思います。