「許すこと」

pure photoなんだか、こんなタイトルをつけてしまうと、ちゃんと書けるか心配だけど書いてみます。

これまでの自分を振り返ってみて、過去に自分がしてしまった過ちや失敗などを許すことができなくて、自己嫌悪になってみたり、そうならないように過度に反省してしまったり。そうした「許せない」気持ちって、自分にではなくて、出会った人に対して同じことを無意識にやってしまうもの。

はじめは、目の前の人が「失敗しないように」「間違わないように」といった老婆心のつもりが、それが次第に「心配」に代わって、そのうち過剰に「注意」をしてしまう。そして不思議なことに、伝わらないもどかしさから、相手を「許せなくなる」感情までもが芽生えてしまう。

得てして「心配」という感情は相手を思いやるものではなく、相手を信頼できないでいる不安やそうした自分に対する不満。そして、自分も心配されたい。自分に関心を向けたいという気持ちから起きるもの。

これだけ心配しているのに。というのは、相手にとってはほとんどプラスになることは少なく、むしろ、心配することで、相手のエネルギーを奪ってしまっていることのほうが多いかもしれません。

受け入れること

昔読んだ「自分を信じて生きる。インディアンの方法(松木正著)」に、悩み事を抱えた若者の相談に応える長老の話があって、すべての話を聞いた後に

accept you」と応えるシーンがあって、よく思い出します。

本書で書かれた意図とは少し違うかもしれませんが、君の悩みはよくわかる(I accept you.)ではなく、「人の心はわからない」けど(突き放すようにではなく)愛をもって「accept yourself (自分自身を自分で受け入れてみなさい)」と言う言葉。

本当は「わかりすぎるほど、相手の気持がわかる」人だからこそ、「わかるよー」と同情するのではなく、あえて、「わからない」とした上で、言葉にはせず「すべてを受け入れるよ。だから君も自分自身を受けいれてみなさい」という気持ちで「accept you (yourself)」。

自分を許すことができたら、きっと、周りも癒される。そして、滞った流れが循環をはじめて、心地よくなっていくのだと思います。

Shareこの記事をシェアしよう!

モバイルバージョンを終了