毎年この日になると、この曲を聴きます。
Viva la Vida(美しき生命)
Coldplayの名曲。
5年前の今日、関東に上陸した台風が通過した日。僕の友人が何も挨拶もないまま、静かに永眠した日でもあります。
その日を境に、止まってしまった時計と変わっていく自分を交互に見比べるように、これまでの年月を振り返ってきました。
過去の強烈な体験は、今という時間から自分をもぎ取るように、強く引き離そうします。
でも、少しづつわかってきたことがあります。
全ては過去にとどまってしまうことはなく、常に今とともに在り続けるということ。
今にあり続けようと思えば、すべてがつながって存在しているということ。
僕がブログに何かを書こうとしている行為は、過去を振り返りながらも、「今できること」を行う、今とつながる行為。
今感じていることを素直に表現して、意識的に行動に変えることで、「今にある」ことができます。
その時、過去はないので、友人はここに居ます。
なんだかスピリチャルな話に聞こえるかもしれませんが、そう思います。
よい体験もつらい体験も、ここにはないけど、すべてが粉々に砕けて質量を失って、でも、ここに存在しています。
その粉々になったピースをつなぎ合わせることで、ホログラムのように、形を自由に作り出すこともできます。
それを記憶や思い出、イメージ、魂というかもしれません。
だから過去はものすごく軽くて広大で変幻自在な自由な存在です。
そして、すべては時間と空間を超えてつながっています。
アートや音楽からは、自分が直接体験してきたこと以上の遠くて懐かしい「何か」に触れることができます。
絵描きや音楽家、小説家は、過去に人間がまとってきた全ての空間をそれぞれの手段で「今」につなげるきっかけを生み出しているのではないかと思います。すべてが深い部分で「つながっている」ことを確認、証明するための表現であること。
ブログというメディアを通じて、なにかを表現することも同じこと。
抽象的だけど、彼との心の対話でそんなこと思いました。
今を生きる。それ以上でもそれ以下もなにもないということ。恐れや不安はそこには存在しないこと。すべてそこにあること。本当にすべてがつながっていること。
ありがとう。僕も自分が生きている限りこのことを思い出して、その使命を全うしようと思います。