横浜トリエンナーレ最終日前日

3年に一度の現代アートフェスティバル、横浜トリエンナーレ2008に行ってきました。

明日が最終日ということであわてて行ってきたのですが、天候に恵まれて風もなく、穏やかな一日でした。

メイン会場の3カ所を徒歩と船で移動しながら、すべての会場のカフェに立ち寄っては、のんびりお茶してアートショップ物色してと、ゆっくり回ったのですが、ちょうど一日でのんびり楽しめるイベントでした。

まずはメイン会場の新港ピアから。

スタッフ以外誰もつけてなかったのですが、律儀に別売りのパスケースも買って、加えて音声ガイドもゲット。

音声ガイドも有料なので、借りてなかった人がほとんどですが、あったほうが、絶対に!!!180%楽しめます。ホント。

現代アートなんだから、「みたままに感じろ!」と言われてもまず無理。

最初にガイドを入れずにすこし自分なりに感じて、で答え合わせのようにガイドから流れる作者の意図とか、ねらいを聞き合わせると、ぜんぜん違った角度から作品を見直すことができるので、2度美味しくなります。これは絶対にお得。出費しても元は取れます。

着ぐるみモノ

作品的なお気に入りは、やはり着ぐるみ映像もの。ターナー賞につづき、こちらでも、着ぐるみを着たアーティストがただ動いている映像がありました。

ガイドによると1980年代からこうした活動をしている二人組らしく、ねずみとパンダの視点でアートを鑑賞してみる。というテーマで映像が延々とたれ流れてました。 (ペーター・フィッシュリ & ダヴィッド・ヴァイス《ネズミとクマのフィルムの一部》)

どうみても「アリクイ」のようなねずみとパンダ。

会場の片隅で、お休み(永眠?!)しているこの二組にも出会えます。

緊張と緩和の繰り返し

そうした、作品を堪能しようとする度に、

まず「緊張してよく観察しろ!」と問われているような気がして、身構えて神経を集中していると

「なにを考えているんだ!!ここになにも意味はない!」と叱られ、びくっ!としていると、

「驚くな笑え!」と、まるで、どっちやねん!みたいな脱力感におそわれ、

「そう!それや!そんなんでええねん」みたいに最後に妙に励まされて、作品を後にする・・・みたいな、そんな緊張と緩和の脳内プレーが楽しめるのも現代アートの(個人的な)楽しみ方です。

常識がちょっと侵される感覚っていうのかな。そんな気持ちになれる瞬間が楽しいです。(割れた鏡の作品〜ミケランジェロ・ピストレット《17マイナス1》,2008。)

心地よい思考停止体験

作品を鑑賞しながら、間違えて違う展示物のガイドを流してしまったのですが、その後、ガイドすら疑わしく思えてしまうと、目の前に展開している作品がいったい何なのか?がわからなくなり、頼るべき存在のありかを見失います。

そうしたハプニングがまた、アートにつながり、次第に会場をさまよっている自分すらが、作品に取り込まれてしまったかのような、鑑賞する側とされる側の存在の境目が曖昧になってしまう気がしてしまい、そのあたりから脳の表裏がひっくりかえしてしまったかのような意味不明な思考停止トリップ体験が続き、どんどん感覚が麻痺してきます。

会場を後にしてもしばらく、この感覚が持続するので、目に映るものすべてが意味があるもので、無い様にも見えてきたりします。でも、それって、凝り固まった頭がプルプルにほぐれてしまったような、そんな心地よさでもあるんですよね。心地よい思考停止体験というのかな。

変な力が抜けてしまったというか、いい意味で脳が疲労してうまく脱力できた状態に近くて、こうした状態のほうがむしろ健康なんだろうなぁとか思えますね。

たくさんの作品に出会ったので書き切れませんが、思い出せるうちに続けます。

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