発売を2月4日に控えた濱野さんとの共著書「日本的ソーシャルメディアの未来」の見本紙が先ほど届きました。
受け取ってすぐに読み返したのですが、本当に面白い内容になっています。
コミュニケーション論や社会学系の本はどうも難しそうで僕自身も殆ど食わずギライをしてしまうのですが、濱野さんの日本的ソーシャルメディアの知見と視点は非常に明快で分かりやすく、これまでそうした書籍に触れたことがない人でも楽しく読める本になっています。
このジャンルの本はわかりやすく書きすぎると、専門の人にとって物足りなく、少し深く斬り込むとすぐに難解になってしまう傾向があって、書き手も苦労する類の書籍です。言葉などは少し難解な部分が残りますが、ツイッターやソーシャルメディアなどに対してもやもやしていた気持ちがすっ腹に落ちてくる。と同時に日本人的なソーシャルメディア観というものも見えてくる一冊です。
「コミュニティ」と「ソサエティ」
冒頭から濱野さんは、現在のソーシャルメディアは「コミュニティ」と「ソサエティ」の両方の性格を合わせもっている。と看破しましたが、実はこのことが常々気になっていて、かつ一番掴みづらいところでした。ただ、そういうものだと考えて、眺め直してみると色々見えてきます。
ツイッターに代表されるソーシャルメディアなどは、パブリック(ソサエティ)に向けてしゃべっているのか、知り合い(コミュニティ)に向けて表現しているのかわからなくなります。なので、「独り言のようにつぶやく」というスタイルが、気持ち落ち着くのですが、その作法ですら正しいかどうかわからない。
はじまりは司会者不在のまま議事進行するような「空気読みたい」日本人の不得手なジャンルのサービスでした。
当然、僕もそうですが「とても気持ち悪い」世界だったのです。
ところが、日本でツイッターブーム。それどころか街を歩くとお店の看板に「アナログツイッター」とか「看板ブログ」とか店員の日常を綴った手書きの立て看板が増え、ソーシャルメディアの潮流がネットだけでなく現実にも漏れ出して、道行く見知らぬ人(パブリック)に身の丈で語りはじめているではないですか。
道行く知らない人に「元気?」なんて決して言わない日本人が、社会に向けて語りかけている。
まさに、知っている人「コミュニティ」から、知らない人「ソサエティ」に向けて語りかける術を身につけていると言えるのではないかな? こうあるべきという固定された空気のない世界を受け入れながら少しづつ発信する力を見出す場。
思えば、日本語で語り合うことができる日本という社会はそもそも、日本というコミュニティなんだから、もっと日本人同士仲良く絆を深め合うべきだし、そうなるともっと日本もよくなると思います。
昔のようなムラ社会的原始共同体には戻らないとしても、新しい絆を深め合う日本的な共同体のあり方がいま芽生えようとしていて、そのための予行練習がこのツイッターやブログなどのソーシャルメディアなんじゃないかと思っています。
そんな疑問や期待に濱野さんが明快に応えてくれている一冊。ぜひ沢山の人に読んでいただければと思います!!