わかりにくいかもしれないけど、一昨日に見た夢とローカルLLMについて書いてみる。
午前2時半ごろ。はっとして目が覚めた。
不思議な夢を見たからだ。
内容を圧縮していうと、キャバクラに二度いく夢。
元々お酒が得意ではないので、昔に友人に何度か連れて行ってもらったことがあるけど、シラフでは、なんの面白味もなく、ただ気を使うだけの場所だった。
ところが、今回夢の中ではじめて、キャバクラの面白さを「理解」した気がして、はっとしたのだ。
二部構成になっていて、一部はただキャバクラに行く。
従来の経験通り、全然楽しめず、気疲れする。ただ友人の付き合いなので、そつなく、気前よく良い客を演じてみる。
二幕に行く手前、街のどこかのコワーキングで仕事をしていると、太客ぶりを聞きつけた他のお店の女性たちが、列をなして名刺を渡しにくる。
パソコンから目を挙げると、昼にはにつかわしくない、エレガントな女性や、普段はOLしてますふうな人。大学生っぽい人。
その光景に妙に嬉しくなっている自分を発見する。
(全部夢だから許して)
じゃあということ、そのお店に行こうということになり、友人たちとお店にいく。
二度目の余裕ということもあり、全体が俯瞰できて、お店の人たちのインサイトまで見える。そうか。彼女らたちも、仕事とは言え頑張っているんだな。
せっかくだから。楽しもう。ということで、そこから、エレクトリックパレードのような劣化したグランドキャバレーのような宴がはじまって、なんだか変だけど面白いぞ!!というあたりで目が醒める。
文字にすると、本当にしょうもない夢なんだけど、この話。多分この過去一週間くらいのテレビでみたディズニーの潜入ドキュメンタリーとか、過去の薄い経験。そして、なによりも毎日AIエージェントと何時間も対話している感覚がまざりあわさって、夢が「生成」されていることがわかる。
所々の分岐点で、自分が都合の良いプロンプトを書いて、夢の続きを生成している。
その夢は、自分が経験したこと。印象に残った重みづけされたものを中心にマッシュアップしているだけ。
出会う女性は誰も見たことも知り合いでもない、未知の顔なのに、過去の記憶から「画像生成」されているにすぎない。
つまり、自分が持っている記憶や経験というローカルな情報をもとに、再生成しているのだ。
でも、面白いのが、それがAha!モーメントになっていて、ただの記憶の再生ではなく、記憶の断片を生成していることで、いままで気づけなかった「キャバクラってなにが面白いんだろう」という疑問に対して、膝を打つような発見が深夜にスパークしたのだ。
最近AIを使っていて、ははーん。なるほど!と思えることが多々あり、既知の情報でも推論させて、捉え直すだけで、そこから新しい発見や理解につながる。
その文字だけでやっている感覚を夢という臨場空間で追体験した。
つまり、夢って、ローカルにある情報をもとに再生成したメタ情報なわけで、生成AIの原理は夢に相似するなぁと思った次第。
結局人間の持っている経験や記憶って、20歳だろうが50歳だろうが、AIの持っている情報量に比べると大差ない。
もちろん、良質なインプットの総量は人間性を豊かにすると思うけど、その量ではなく、その経験や感受性の重みや重なりから生まれるつなぎ合わせにこそ価値があるのだと思う。
アインシュタインが主要な論文を書いた「奇跡の年」は彼が26歳のとき。
たかが26年の蓄積で、必死につなぎ合わせた情報が20世紀の物理学を動かしたのだから、すごい。
圧倒的な知能を持つAIによって人間の能力は反比例して劣化すると思う。
一方で無駄なメリトクラシー的な争いから、非認知能力のような言語化、数値化できない協調性や感受性、コンパッションやメタ認知が伸びるかもしれない。
キャバクラの楽しさをはじめて理解した(あくまで理解とは主観的なものだから、世間的には大いに間違えている気がするけど)自分。あぁ、まだまだ世の中には通り過ぎてしまっただけで、気づけなかった面白いものや可能性が溢れているなぁと、朝2時に思い、ニヤニヤしながら、眠りについたとさ。