シェア生活をし始めると、自分の時間が極端に減ってきます。特に、共用部のラウンジに立ち寄ってしまうと、つい長居してしまいます。
たまに、ラウンジをのぞいて誰もいないと、寂しくなる反面、少しホッとしたり。
特に、シゴトが立て込んでくると、絶対に部屋でシゴトしたほうが集中できるのはわかっていて、あえて、ラウンジのノイズや魅惑の中に身を投じて、己の集中力を試す修験僧のような気持ちで、マゾっぽく戦っていたりします。
そんなシェアでのライフスタイルとワークスタイルの実践も一年を超えました。本当に人生の中でも忘れ難い一年でした。
このことはどこかでまとめたいと思いつつも、「いつか」にすると、きっとこの日常が当たり前となってしまい書けなくなってしまう怖さもあります。
まだまだ旅の途中ですが、旅行記の様に思ったこと書いておきます。
出入り自由な対話の楽しさ
さておき、自分の居るシェアハウスには六階に共同キッチンと60人の住人がくつろげるラウンジがあります。
その場所が魅力的で怖いのは、そこに出入り自由な対話があふれていること。
バーやカフェ。というよりは、どっちかというと近所の立ち飲み屋。
シェア生活のはじめのうちには、なかなか距離感が難しく、人の会話にはいる難しさもあるのですが、人との距離が近まり、間合いが読める様になると、ジャムセッションのような、会話が楽しくなってきます。
(僕はお酒がほとんど飲めないので、かねてから憧れていた、近所のバーやこの立ち飲み屋のような常連になって勢い「くだをまく」楽しさがこれだったのか!と、やっと気づけました。)お酒飲んでなくても、この楽しさや適当な居心地のよさが追体験できます。
今日は誰とセッションしようかな。と思いながら、それぞれの個性や癖と手合わせする楽しさ。即興は聴くよりも、やはり参加したほうが断然楽しい。
ちょっとのつもりが数時間になってしまって反省しつつ、自分の時間マネジメント能力を試したり、元気ないときにフィーリング会わない人に遭遇すると余計元気でなくなったり。スルーしたり、チューニングしたり、そんな生なコミュニティ体験を日々試せる場なんです。
いいことも悪いことも。多様な人に囲まれて、コミュニティのチカラを感じながら生きて行く。ここに生きた学びがあります。これこそ未来の学校なんじゃないかな?
そんな四方山話をする予定です。
「2/21 19:00」ソーシャルメディア時代のシェアする暮らし | イベント | d-labo
まだ整理中でうまくまとめる自信はないけど、みんなとこんなテーマで色々座談できたらうれしいです。
時間があれば、ぜひ遊びにいらしてください。