地下鉄(メトロ)に乗って

“地下鉄(メトロ)に乗って “

あー・・・切ない。 でもいい映画。

岡本綾演じるみち子の役どころ。あのずっと切ない表情が頭から離れない。

ひとつ不満に思うなら、主人公真次(堤真一)の立ち直り方があっけなく、もし自分が主人公なら失意のどんぞこで幕が閉じてしまう気がしたのですが、よく考えれば、それがこの主人公とその父の生き方を象徴しているところ。

どんな逆境でもそうした内面を見せない強さ。同じ芯の部分を戦後の父親像と、現代の父親像として受け継ぎながらもうまく表現されていたと思います。

そして、この話のひとつの鍵にもなる。「出生」。

人には原点になるものが必ずあって、その生い立ちをたどることで自分を形作ってきたものを取り戻す作業をするものですが、この映画では地下鉄を媒介にします。

この映画を観ると、自分が生まれ育った場所に戻って「その頃」をもう一度確かめてみたくなります。まさに電車にのって、自分の故郷や祖母や祖父の話を聞きに行くのもいいかもしれません。自分を育ててくれた親の目線で自分の生まれ育った場所を見直すことで、見えてくるものもあるんでしょうね。

そうえいば、この映画に出てくる丸ノ内線なんかは、歴史の古い電車だけあって、プラットホームとかまだ昭和の名残が残っているところがありましたね。そういう駅に降り立つとタイムスリップしてしまったかのような気分になります。

最近はないですが地下鉄って途中でよく電気が消えるんですよね。あの、電気が消えたときの、独特の間。妙な不安感と安堵感。あんな感じの非連続な感じって好きだなぁ。

電車に乗ってる人が善悪を超えてひとつにつながった様な妙な連帯感。なにかがリセットされたような気になります。

ITの時代にはなくなってしまった間ですね。