夜道を歩きながら考える。

最近はアウトプットするより、色々考え事をしたり、勉強したりとインプットのほうが多くて、たぶんそんな勉強の時期なんだろうなぁと思いつつ、気が付くと物思いにふける時間が異常に多いです。
時代と時代のはざまにすっぽり入ってぼぉっと空を見上げているような気分。
なにか鳥とか未確認飛行物体とか飛んでこないかなぁと。(気が付くと口が半開きだったりするので、いけない)
「川の流れに身を任せていると、いつか海に出る」って誰かが言っていたけど、それに近いかな。
今日は夜道も気持ちよかったので、電車に乗らずに1時間くらい歩きながら家に帰ってきて、道々色々なこと考えてました。
で、もうすぐ家というときに、バスがちょうど目の前にとまったので、乗らないともったいない気がして反射的に乗ったのですが、いま、お財布携帯で乗れるんですね。
電車もバスも便利になりましたね。


携帯で全部が乗れるような時代がきたら便利だなぁ・・・なんて、もう夢ではなくて現実なんだと思うと、嬉しいというよりは、「あぁ、ついに現実化してしまった・・・」なんて不思議な失望感すら覚えてしまいます。
夢って現実にならないから夢なのに、簡単かなえたらいけない気がする。
「こうなったら便利だろうなぁ・・・」っていう夢というのが現実化しやすいなら、「こうなったら不便だろうなぁ・・・」っていう夢を描いてみるのはどうだろうか?
なんて、考えるまもなく停留所。
結局2区間分くらいだけ乗ってしまった。
今日の未来会議の座長が「時代が進んできて、僕らが失ってしまったものがあるとしたら、それは<闇>なのではないか?文明が世界を照らすことによって、時代に闇がなくなってしまった。」という言葉を思い出した。
僕も週末にわざわざ東京を離れて野山で野営をしたくなるのは、光ではなく闇を求めているのかもしれない。光も電気もない不便な場所に行きたくなるのは、不便をしないと手に入らない「なにか」がそこにきっとあるのだと思う。
それにしても、日本は明るすぎる