破線のマリス

破線のマリス (講談社文庫)破線のマリス (講談社文庫)

今年もあまり読めなかったけど、2007年最後の一冊はこの本。いろいろな意味、ゆっくり考えてみたかったテーマだけに年末にタイムリーでした。
ITに思うこととつながることも多かったので、思いかえしながら書いてみます。

テレビというメディアにのって僕らの茶の間に流れてくるものは、どんな映像であれ人の手によって編集されてしまう段階で、誰かの主観が入ってしまう。

編集マンの女性がつないだ映像から起きる不可解な事件。彼女がつなぎ合わせた映像は、誰にとっての真実だったのだろうか?
視聴率主義のテレビメディアがたどり着いた現在の問題点のはざまに、指先でつなぎ合わせる映像の断片から自分にとっての真実を手繰り寄せようとする女性編集マンの葛藤。

風刺的でありながらも、サスペンスとして最後まで目が話せない緊張感あふれる展開。発表から10年経った今でも色あせないタイムリーなテーマであることが社会現状的にいいのか悪いのかは別として、物語としてリアルに十分楽しめます。

映像の編集力や技術が上がるということは、映像の臨場感が増していく分、反比例するように本来の姿から離れていく危険性もある。ある意味、編集力の低いブログや個人メディアにリアリティを感じてしまいたくなるのは反面教師的な僕らのメディア感なのかもしれない。

セカンドライフやインターネット全般がいわゆる過渡期的な表現メディアだからこそ、うそ臭いと思えてしまうほどに「では本物とは何だろう?」と考える余地がそこにあって、無防備に見慣れてしまった完成度の高い映像には疑問をはさむ余地なく受け入れてしまう危険がある。

僕がセカンドライフやネットが好きな理由は、自分のペースで創造し発信する側にまわることによって、物事を見直す「考える余地」が生まれるからだと思う。

たとえば、セカンドライフでツリーハウスを作っていると、そこには現実と似ても似つかない不恰好で偽者的な創造物があわられてしまう。でも、そうやって偽者と向き合うほどに、本物の質感や存在を知りたくなってしまう。

3次元CGの仮想世界も、今のテレビメディアの成熟のように、より編集技術や表現力があがり、見違えるほどリアリティを増していくに違いない。


妙に「つくられた物事」の本質を見抜く力は、創造する技術をもって「つくる側」にまわることで養われる。ネットが僕らに試していることは、表現する側に立
つことによって、この「物事を見直す力」を養うことに尽きている気がする。別に、ネットに限らず「作って表現する」時間をもつことで、メディアとの距離感
も保つこともできるはず。

これからのネット社会はもっと魅力的になると思う。それは、素人が8mmで編集した未熟な映像を見ている時代
から、スキルも環境も成熟した完成された映像を大画面のハイビジョンで見るような感動。ブラウザーやパソコンなんて視野の狭いものではなくて、僕らの体を
取り巻くようなもっとダイナミックでリアルな情報を全身で体感できる時代が来る。

でも、だからこそ、なにかが反比例してしまう危険があることも知り、誰にとっての真実なのかを、知ろうとすることが必要になってくる。

年末に「真実」なんて難しいテーマだけど、あふれかえる情報量と日常のスピードから少しはなれて、ゆっくりとした時間の間に身をおいてじっくり考えてみたいと思っていた矢先に「破線のマリス」はまさにタイムリーすぎるほどのテーマで楽しめました。

ちょっと長くなってしまったけど、だれることなくぱっと読める本なので、オススメです。