「限界集落」と「集落の教え100」

「限界集落とは65歳以上の高齢者が集落人口の50%を越え、独居老人世帯が増加し、このため集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活の維持が困難な状態にある集落をいう(参考・大野晃著「山村環境社会学序説」)」

限界集落ーMarginal Village」より

雨の日に読んでいると、なんだかしんみりしてしまう本。

高度成長した日本で効率化された社会のシステムから排除された集落という存在。

大量に消費されすぎて簡単に消滅してしまうものもあれば、じんわりとその姿を消していくものもあって、どちらも諸行無常といえばそれまでだが、ちょっと極端で切ない気もしてしまう。

僕は都市に住み、大量な情報を消費して生きている一人なので、集落に関するリアリティもこうした本でページをめくりながら、そこに暮らす人の考えや存在を記憶にとどめて受け継ぐくらいのことしかできない。

だけど、現実的な集落の消滅はこうした文化の継承が途絶えることでもあって、それは経済や社会の発展とは別次元で実は都市や国家、もちろん個にとっても大きな欠落になるような気がしてしまう。

消滅してしまう集落を救う方法は残念ながら簡単に思い浮かぶものではないが、この本のように、そこに何があってどんな文化が継承され残されてきたか、アーカイブされて受け継がれることくらいは、この時代に残された必要な手段のように思える。

IT時代に従来の方法とは形を変えて伝承される仕組みが生まれてくる必要を感じている。

何かできることはないか、そんなことを漠然と考えながら読んでました。

ひさびさに、手に取った瞬間から良書に出会えた喜びを感じた本。こういう本は学術的すぎて読みにくいものですが、この本は、一見学術的な深い考察を写真と示唆深いコピーでわかりやすく表現してくれています。

限界集落でなくなりゆくものが、「文化」という抽象的なものではなくて、まさにそこから学び取るべき様々な様式や教えといった人の生きる具体的な智恵であることを気づかせてくれます。

限界集落はあっても限界都市という言葉はないように、(都市型限界集落という言葉はありますが)都市は天変地異や戦争などのカタストロフィー的な崩壊がないかぎり、再生を繰り返して生きて行く力をもっているのかもしれません。

ただ、その生き方は都市の周辺のエネルギーを大量に消費して成り立っているので、都市の周辺が限界に つまり集落のような周辺が過疎していく構図なのでしょう。

都市生活者が自己分析しても始まりませんが、都市のまえに、そこに暮らす人の心が限界に向かっているのだとしたら、このあたりにヒントがあるのかもしれません。

年寄りばかりになってね。集落に誰もすまなくなったら山や川は荒れるさかいね。ゆくゆくは(下流の)町にも影響してくるんじゃないでしょうか?

集落の教え100」より

ものごとは循環して成り立っているのだから、それを無視していたら、やはり限界はくるんでしょうね。

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