年始にいつも行くカフェに予約して行った時のこと。
オーダーを取りにきたスタッフが、腰を丁寧に折り、
「本日はあけましておめでとうございます。」
と深々とお辞儀。
文字では表現しきれない、心のこもった挨拶。
本当に心から祝福してくれているような言葉の響き。
年始早々一流の挨拶をいただいた気分。あまりに、すばらしい間だったので、一瞬時間が止まってしまったような錯覚を覚えたほど。
それからずっとそのときの感覚が頭から離れず、いろいろなお店に入るたびに、挨拶の何が違うのだろうか、年始早々に宿題を出された気分で、つい思いふけってしまった。
やはり、相手に喜んでもらいたいと思って行動すると、それは相手に伝わるということ。
以前、陰陽師の言葉で(呪?しゅ)はつまり名前で、人は名前に縛られる。ということを書いたことがあるけど、本物の挨拶は、その逆で呼ばれた本人がその瞬間そこに唯一無二な存在として明確に存在していることを証明し、それを称えるための「魔法の言葉」なのかもしれない。
挨拶は愛拶。その逆は無拶か。
人は自分ひとりでは存在できないから、逢拶の呪文で互いを生かしあわないと生きていけない。そんないにしえの掟のようなものが眠っている気もした。
そういえば、先日近所を歩いていて、すれ違いざまにもらったヤクルトのお姉さんの「おはようございます?」の言葉もやはり同じ。あのお姉さんは初対面のすれ違う人に片っ端から白魔法をかけて、走り抜けていったのかもしれない。(辻ケアル)
僕の挨拶はまだまだ5流だけど、徐々にそんな本物の挨拶ができるようになりたいと思えたエピソード。