いい映画やドキュメンタリーはやはり、観終えたあとしばらく頭から離れられないですね。
マザー・テレサのドキュメンタリー映画みて、まだ思うことがあるので忘れないうちに書いておきます。
やはりなによりも心を動かされるのは、自分の信念にしたがって、心を揺るがさずに行動する姿勢。
ものごとをうまくやろう。とか、計算したり保険をかけたりせず、心が求めるもの(信念)にしたがって行動できることの尊さ。
それが心の「軸」のあるなしなのでしょうね。
普通であれば、「お金がないから」「スキルが伴ってから」とか、言い訳してしまうところ、自分の「本心」がそうすべきと思えば後先考えずに行動すること。
もし目の前に倒れている人がいたら、何かを考えずに手を差し伸べられるか?
そんな当たり前のことも、正直ふと色々なことを考えて躊躇してしまうことがたくさんあります。
本来なら年齢を経るほどに、そうした優しさが大切なのに、逆に余裕がなくなってしまう。
マザー・テレサの行動を観て思うのは、そうした未来への不安というは、今できることをただ「行う」ことで、その不安から解放されるのだということ。「憂う」ことというのも、実は心そこにあらず状態で、「今」にいない状態をさすのかもしれません。
これが出来ていないからあえて書いてみているのですが、先入観なしくして、目の前の物事を捉えるのは本当に難しくて常に葛藤します。
彼女のように、すべてを御心に捧げる信仰も、生涯貧しい人に使える信念も持ち合わせていませんが、きっと彼女はそれをすべての人に押し付けようと思っているわけではないと思います。
ただ、目の前の出来事に対して先入観をもたず愛くしみなさい。夕陽が綺麗ならただそれを感じいって、それを心の窓で眺める時間をもつこともそう。
僕は人一倍頭で計算して物事を考えてしまって生きてきたんだなぁって改めて思います。
ビジネスの世界ではそれが常識かもしれません。リスクヘッジや、企画を考える事すべて。それが悪いことではないのですが、自分の人生においては、本心ではなく、理性で計算された出来事というのは、歯がゆいくらいうまくいかなくて、本心が望んだことは驚くくらい成就する設計になっている気がします。
逆に言えば、うまくいかないと思うときは、それは「本心」ではなく「頭で考えたり計算した欲求」だったり、利害だったりするのでしょうね。
究極、心から「楽しい」と思えることを、素直に行動に変えるだけでもいいんです。「好き」と思えたら躊躇せず、言葉や行動に変えること。
マザー・テレサからみれば、語弊があるかもしれませんが、貧しい人に仕えようと決めたときに、得も言われぬ喜びが沸き上がってきたのかもしれません。
誰かの真似ではなくて、自分の心が望むものに正直になること。そうすることで、未来への不安や憂う時間も少なくなり、彼女のように片手に握りしめたコインだけでも、不安から解放され行動する勇気が湧いてくるのだと思います。
4月に入って、暖かくなってきたので、行動するにはよい季節。ワクワクすることを思い返しながら、その気持にただ素直に向きあって、その気持に応えてあげるだけでもなにか変わるかもしれませんね。
まず行動してみると、それが本当にやりたかったことなのかわかるはず。そうじゃなければ、次のものを試す。くらいの気持ちで色々やってみましょう!!さて、なにからはじめようかな。