この公園で毎日目の前を通り過ぎる人を眺めている大木。大きく動かない存在の前を通り過ぎる者だけが薄く消えてかけてしまう写真って、なにかを暗示しているようで、儚い感じがしますね。
人物が消えかかっているのは、iPhoneで撮影した写真をAutoStetchでパノラマ合成する過程で継ぎ目あたりの動きのあるものが消えてしまうからですが、最近はあえてそんな感じもいい気がして、狙ったりもしてます。
今日は公園でのんびりした時間を過ごしたのですが、それでも考えてみたら、気休め程度のほんのわずかな時間。
自然を満喫するって、本当に自然に流れている悠久の時間を感じ入れるほどもっと長い時間をのんびり過ごさないと言えないものかもしれないですね。
そんなぽっかり空いた時間を受け入れるようになれば、人生観も大きくかわるんだろうなぁ。
都会のスピードに慣れきってしまっている自分を自覚。
でも、今日みたいに気持ちのよい週末は、たとえ少しの時間でも広い芝生の上で太陽いっぱい受けて、ガス抜きできました。
世田谷砧公園にて。