今日は晴れ。
少し暑いくらいの日差しで、いい天気でした。
ホテルにチェックインして、なにげなくつけたテレビから、レバノン紛争という宗教戦争の爪痕をレポートするNスペがながれてくる。
宗教戦争に巻き込まれ失った子供と最後に語りあった浜辺で、子供と最後に交わした言葉を回想するシーン。
「シーア派、スンニ派、キリスト教、一体何が違うの?」
子供にとって宗教とはよくわからないものだろうと思い、「果物の種類さ」とそのときは答えたという。
改めて回想しながら、今ならこう答えるだろうと語った言葉。
「みんな同じだよ。
平和を求める人の哀しみなんだよ。」
僕らはきっとその子供のように、その違いをわからずにも生きていくことのできる社会にいる。
みんな平和を求めているはずなのに、その考え方の違いで争わなくてはならない哀しみ。
そんな哀しみを子供や僕らがわかるはずがないかもしれないが、きっとそうやってまっすぐに答えることでしか、現実から目を背けずに前に進む術はないことを天国の子供と宗教観の違う僕らのような人に対してメディア通じて伝えたかったのだろう。
大人も子供も目を背けるわけにいかない理解しがたい現実。それを伝える決意。
せめて次の世代に託すために、真剣に子供たちと向かい合う姿勢が大人にも必要なのだ。
なさけないかもしれないが、大人が解けない問題がこの世界には沢山あって、答えられない問題に対して言葉を濁しがちだが、誰を相手にしても、悩みや問題を含めて思いを真剣に伝えて、一緒に答えを探そうと対話することも大切なんだと、そんなことを教えてくれたような気がした。そしてそれは決して恥じることでもないのだと。