駿河湾の夕日

izu20040901.jpg

箱根新道を抜け、伊豆スカイラインを行く予定が間違えて国道1号を下って三島に。
渋滞にぶつからないことを祈りながら、伊豆中央道を南下、修善寺で降りて、土肥港を目指す。
いつも行き当たりばったりなので、土肥港を目指したのは、とにかく海辺に出て夕日が見たかったら。
たまたまナビがさす進行方向で一番近そうな海辺。
修善寺を越えたあたりから、だんだん夕焼けモード。
あせる気持ちを抑えて、山越えのワインディングを飛ばす。
もうだめかもしれない・・と思いながら、峠を越えると、眼下に駿河湾。


夕日は雲の向こうに隠れてしまっているけど、港に着くのをまてないので、峠の途中で車を降りてしばらく眺める。
ネイティブインディアンは風や火を魂や愛情に例えて語るらしく、たとえば、「薪に火をつけたいからといって、あせって風を吹き入れてはいけない」といったら、焚き火のことを言っているのではなく、愛情の育て方を例えて語っているらしいんですね。
自然に例えて大切なことを話すことも、それを比喩と理解して読み解く受け手側の感性もすごく情緒的で素敵です。
この景色を見ながら、インディアンの長老なら何を語るのかなぁと考えてました。
たそがれるって、言うけど、負な思いばかりじゃない。
夕日を眺めていると、終わることへの悲しさやせつなさもあるんだけど、そのなかにいとおしさもあって、それを受け入れるとどこからか力強さも生まれてくる。
有終の美っていうのかな。美しさってエネルギーになる。
あと物事って終わりがあると思えるほうが、色々なことに気づく。それを教えてくれているような気もする。
夕日はそう思うと、「終わり」について何かを伝えたいときに例える言葉なのかな。
なんてことを考えつつ、夕日に元気をもらって峠を降り、港の銭湯で一風呂あびて、車中泊できそうな寝場所を探しに・・

Shareこの記事をシェアしよう!