アメリカンビューティー

american beautyアメリカン・ビューティー
正直、痛い映画だった。

まるで細かいガラスの上を素足で歩いているのに、社会という床が空回りしていて、傷つけたくないものを傷つけてしまうような。

でも、ただアメリカの現代社会を皮肉っている映画だったら、「自分が何に触れたんだろう・・」なんて考えるために感想を書こうとはしないけど、映画の完成度なのか、見終わった余韻がなにかを書き留めておきたくなる気分にさせられました。
(映画の中身はネタバレになるので、見終わって感じたことを・・)

嫌いな人って、その人に自分の醜い部分が見えてしまって、まるで自分を見ている気分になってしまうから。見たくない現実からは目をそむけたくなるのも、それが自分の一部だってどこかでわかっているから。

この映画も、「これはフィクションだよ。これはアメリカの現代社会だよ。」って、自分の世界と切り離して観たくなる気持ちは逆説で、どこかに自分が映し出されているような気がしてならないから、顔を覆いながらも指の隙間から見入ってしまいます。

登場人物はみんな滑稽だけど、憎めない。いや、憎みきれない。それはどこか自分だから。
空回りした世界に振り回されて、自分の足元が見えなくなることってよくあるけど、そんな時にこそ、どうすべきなのか?この映画の余韻は、それを考えさせてくれる時間を与えてくれたような気がしました。むしろ、答えよりも大切な余韻を。

自分だったら、この物語の世界をどの立場でどうやって生きたんだろう・・・って。
先日、知人との会話で、自分史を書くには、
「自分のことを語っても人は関心をもたないから、小説にして書くといい」と聞いてなるほど、と思いました。

正論で今の社会はこんなに病んでいるって聞かされても、ぴんとこないけど、フィクションにされると、逆に自分のことのように、物語を共有してしまう。

脚本家の視点で、この僕らの生きている世界を物語にして、その中に自分を置いて生かしてみると、なにか見えてくるかも・・・