人は小さなズルをする生き物。モラルに触れないギリギリまで小さなズルをする。
それを行動心理学、行動経済学で証明していく話。
ダン・アリエリー 「予想通りの不合理さ」| Video on TED.com.
人々が経済の合理性に見合わない行動をとる。そこで何が起きているのか考えてみました。
私が考えるに、そこには2つの力が働いています。
一つは、自分の姿を鏡に映し出し、自尊心から不正を抑えようとする力。
もう一つは、少しだけなら不正をしても自尊心はまだ保てるという力です。
つまり超えてはいけない一線を守りながら、自分の評価を傷つけない程度に、些細な不正から何かを得ようとするのです。
これを「私的補正因子」と言います。
この後「私的補正因子」について実証していくのですが、例えば学生寮に缶コーラを置いておくと、間もなくなくなってしまうけど、同じ分の現金を置いておいてもなくならない。
一本の鉛筆を職場から持ち帰ることは、10セントを持ち帰るよりも罪悪感が少ない。
等々。多くの人が身に覚えのあるこれらの実験に苦笑いしてしまうようななんとも言えない感覚を覚えます。
こうした軽微なズルを拡大していくと、実体的ではない経済活動下では、エンロン事件のようなことが起きうるということ。
現金ではなく、実体のない証券やバーチャルなものになるほど、人は心理的にズルしやすくなるのはなんとなく分かります。
匿名で人を批判するのにも通じる話です。
最後の「直感は当たらない」という話は、彼個人の治療の際の看護師の対応と痛みからくるものですが、それが正しいかどうかではなく、人は実体験(ある意味での痛み)が伴わないと、感覚が麻痺して、先入観の力によって真実やモラルから遠ざかっていくということ言っているのだと思います。
これは、TEDの名スピーチ、バリー・シュワルツ「知恵の喪失」 にある「実践知」に通じる話です。
不合理さは宿命だと思います。ただ、それを安易に人間の宿命や組織や環境によって受け入れてしまうのではなく、バリーシュワルツの言うよに、(実践知)プラクティカルウィズダムによって、独りの人として自分のあり方を問い直すことが、この話に通じる道なのではないかと思います。
映画マトリックスで有名なシーン。ネオとモーフィアスのトレーニングシーンの一言。
「それは本物の息か?」
当たり前のように思っていることも、たまに客観的に疑ってみる方がいい。そんなことを思い直しました。