人生が山に例えられる意味がわかった気がする〜映画「クライマーズ・ハイ」

クライマーズ・ハイ [DVD]

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堤 真一, 堺 雅人, 尾野 真千子, 高島 政宏, 原田眞人
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“クライマーズ・ハイ ” (原田眞人)

見終わった後にこみ上げてくるものがある。

日航ジャンボ墜落事故から20数年がすぎているのに、遠い昔のようにも、つい先日のようにも思える。記憶の中では時間が止まったまま今も継続し続けている印象深い出来事。

携帯電話すらもたない時代背景を考えると、やはり20年の年月を感じてしまうが、事故そのものはやはり色あせることなく喉に引っかかったなにかのような、整理のつかない異物感のようなものがいまも残っている。

その墜落事故を題材に地方の新聞記者が自分の前に立ちはだかる様々な現実と向き合いながら、それを乗り越えていこうとする様を描いた映画。

映画そのものも結構長い映画なのに、最後まで緊張感がとぎれることなく、決して軽くはないが心地よい疲労感と共に堪能させてもらった。

まず、報道記者を演じた役者陣がどれも人間味があってとてもすばらしかった。様々な制限の中で時間と戦い、表現に妥協しない、役者と報道記者はまったく違う職業のようで、でもどこか似ているところを感じる。

「降りるために登る。」

人は「こうなろう」と頭で思い描き自分の姿に近づくのではなく、遭遇し目の当たりにした現実に向き合うことで削り取られ、身につく血肉で人間の姿が形どられていくもの。

この映画を観て改めて考えさせられたテーマ。

「自分」というのは、現実という山をがむしゃらに登ることで「手に入れる」のではなく、その山頂というゴールにとどまらず、そこから降りること〜「手放す」ことで削ぎ落とされていくもの。

なぜ山に登るか? それは降りるために登るんだ。

登って、降りて。手に入れて、手放しての繰り返しを何度もなんども味わうことで、何度同じことをしていても、同じではない。ということに気づく。

自ら「手放す」のは、失うこととは違う。それは自分の人生を能動的に得るために必要な力。

冒頭の象徴的は台詞は、怒濤のように現実と戦った1週間を経て最後の余韻となって響く。

なぜ山に登るか? それは降りるために登るんだ。

冒頭の象徴的は台詞は、怒濤のように現実と戦った1週間を経て最後の余韻となって響く。

どんな人にも、映画の主人公のように現実と向き合わざるえない壮絶な体験や期間ってあると思う。

大変な思いをして登って、でもいつか「新たな挑戦のために」降りる時が来る。

人生ってそういうものかもしれない。

そんなふうに見終わった後、じんわりと問いかけてきます。

ずっと心に残る名作でした。

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