「幸福は分かち合えたものだけが、本物である」

「幸福は分かち合えたものだけが、本物である」

Happiness only real when shared.

僕の人生で3本に入る大好きな映画「Into the Wild」の一節ですが、文明社会を捨て、アラスカにたった一人で旅にでた主人公がたどり着いた先で書き留めた言葉。

この言葉を主人公はどんな思いで書いていたのか? よく考えます。

「幸福が現実となるのは 、それを誰かと分かち合った時」

訳としても言葉としても違和感はあまりないのですが、本当に彼は孤独の旅の末に、「誰かと幸せを分かち合いたい」と思ったのか?実は、このもう一つの日本語訳を見てどこかひっかかりがありました。

確かに映画でも旅を終えて帰ろうとする主人公が描かれていますが、もし、孤独を生き抜こうとした彼が最後に見つけたことが「誰かと幸せを分かち合いたい」であって、この「誰か」を強く望んでいたとしたら、その孤独な旅の意味がただの後悔になってしまうように思います。

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これは映画ではなく実在するモチーフとなった主人公の実際の写真

ここからは勝手な推測ですが、彼の写真を見て、ただ孤独に耐えかねない苦しみの表情はなく、むしろもっと大きな境地に気付いた人のメッセージを感じます。

僕は凡人なので、一人旅先で、「幸せは誰かと分かち合って。。」という言葉を見つけてしまうと、すぐに街に戻り、そしてすぐさま誰かとハグをしたりシェアしたくなりますが、こういう衝動だけでは、本物の幸せを感じることは難しいのだと思います。

彼が孤独の旅の末にたどり着いた境地は、「誰か」と分かち合うことではなく、「分かち合うことで得られる幸せ」があることに気づいたということ。

一つに「誰か」という言葉を付け加えてしまった日本語のミスリードもあるのですが、特定の「誰か」ではなく、「幸せは分かち合うもの」という境地を得たことで、彼の旅の目的でもあり、自分の求めていた答えの一部にたどり着いたことに意味がある気がします。

誰かと「孤独な旅」にはでられないように、目の前にいなくても、時間や空間を超えて、いつか分かち合う日があることが幸せであり、そして、そうした境地にたどり着くと、誰かと一緒にいるだけで、たくさんの幸せを見つけることができるのだとも思います。

言い換えれば、孤独から逃げて、誰かと幸せになりたい。という境地ではなく、本当の孤独を知るからこそ、本来軽んじてしまう幸せのあり方に気づき、孤独の重要性を知ったのだと思います。

選択と集中

今日で東日本大震災から5年。ちょうど5年前の記事を思い出してました。

人生の選択と集中。今だからこそ大切なものを知る。

この5年。この記事の後、家財道具や荷物を半年かけて断捨離し、身ぐるみ一つで始めた64人とのシェアハウスでの共同生活も、何を選択し何に集中すべきか?幸せとは何か?をさがす小さな旅の始まりだった気がします。

そして今、生まれたばかりの新しい家族と実験的な家族シェアハウスで過ごす日々。

日々、失敗や葛藤だらけですが、死を目前にしたり、失って初めて気づくことがあるように、5年前のこの日を思い返しながら、改めて本当の意味での「Happiness only real when shared.」

幸せを。分かち合うことの意味を。考え直してみたいと思います。

(そういえば、この映画のことを書くのも3回目)