人生クエストは続行中。

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Photo by jumpinjimmyjava

あの日から7年目が過ぎた。
去年の今日書いていたことを読み返していたら、やっぱり人生にはまだまだクエストが存在して、去年の今頃は、全く予測もしてなかった未来が目の前に広がってる。伝えたいことだらけだ。

特に今年は子供の付き添い入院で長い間病院で過ごしていて、これまでに予想も体験したことのないことの連続だった。

生きていると言うのはこう言うことなんだろうな。

この一年で気づきや学びは本当に大きく、葛藤するほどに成長を実感する。

「普通」ってなんだ?

子供の入院を通じて「普通」の意味を考えるようになった。

僕らはうまい具合にそこそこ健康でいられた。だから、健康であることが「普通」で、それを疑ったり検証もせずに生きてきた。

小児病棟ではいろいろな疾患を抱えた子供やその家族に出会う。

それぞれの子供がもつ難しい疾患に、<普通ではないことへの>焦燥感みたいなものをもっている。

それをお互いが無言で共有しているから、病院生活をしているとそこにいるだけで、社会からひっそりと隔離された遠い場所にいるような感覚を味わう。

いままで味わったことのない孤独感。

でも、負け惜しみのように聞こえるだろうけど、人と違うことに、初めからレールを外れてしまったことに、どこかワクワクした感情もいたりする。

普通じゃなくていいんだという、不思議な安堵感。

最近、この<普通>が色々な人を苦しめているんだろうなぁとも思う。

みんな同じであることに安心感を抱いてしまう心理。でも同調圧力に息苦しさを感じるから、常に矛盾を感じてしまっている。

そういえば最近、大手企業の社員が過労で自ら命を絶ってしまったっていう事件が話題になってる。

東大を出て、びっくりするほど美人でエリート。<普通>の人より何百倍も聡明で、健康で健全で自信も自己肯定感も持ち合わせていて不自然ではないのに、どうしてなのだろうと、ここ数日よく考えている。

あったことのない人の気持ちはわからない。

でも、きっと社会全体に蔓延している<満たされることのない>穴に落ちる人の一人だったと思う。

みんな、みんな。一生懸命頑張って穴を掘っていて、でも、何で掘っているのかわからなくて、それ自体が目的化してしまうと、気づかないうちに、自分でもはい出せないほどの深い穴になっている。

(勉強や仕事ができないのは)「努力が足りない」

真面目な人なら本人も思うし、社会人になりたてなら、周りがその数倍の勢いで、それまで少しづつつけてきた自尊心や自己肯定感を思いっきり破壊していくる。

(勉強や仕事ができない)「お前はダメなやつだ」

パワハラは、相手の自尊心をズタズタにすることで、自分の自尊心を満たそうとする行為。

もっと言えば、パワハラをする上司ほど、本人の自信や自尊心が欠落してしまっている場合が多い。

自分が努力してきていても、他人からの評価や自尊心が埋まらないので、他人の穴を見て、もっと掘れという。

迷惑なはなし。

エリートであればあるほど、もっと満足感が高い人生が味わえるはずだと思っているのに、なぜかいつまでたっても(その穴が)満たされない。いい大学を出るまでにも、相当努力して穴を掘ってきたから、報われないはずがない。とうい不安感が常につきまとう。

そして「努力が足りない」と思って、自分を責めてしまう。

本来なら企業の大きさや学歴ではなく、日々美味しいご飯と睡眠、気のあった友人との無駄な時間といった心の栄養を与えていけば、自然と埋まっていくはずの穴。

その穴を満たそうとするどころか、思いっきり肉体と精神を削って掘り進めていくと、いつか水が湧いてきて一気に埋まると信じ(こまされ)ている。だから、頑張れば頑張るほど良いと思ってしまう。

自分を落とす穴なんて掘らなくていい

映画「硫黄島からの手紙」で、穴を掘っている二宮くんを思い出した。

<俺たちは掘っている。そこで戦い、そこで死ぬことになる穴を(妻に宛てた手紙)>

(何で穴掘ってんだよ。)「あーやってらんねーよ」「こんな島、アメ公にくれてやればいい」

<<お国のためって何だよ。>>

現代ならば、きっとそう思うはずなのに、企業に入ると同じことをやっているように見えてしまう。

いいよニノ。掘らなくて。そんな自分が埋もれていくための穴なんて。

そんな理不尽な場所から早く帰って、家族でパン屋切り盛りしてなって。

そういえば、映画「ビリギャル」にも似たようなセリフがあった。

主人公の女の子が、勉強に行き詰まって塾を逃げ出し、子供のために運送屋で身を粉にして働いている母親の職場にずぶ濡れのまま向かう。

そんな娘に「受験、もうやめてもいいんだよ」という母。

「なんでそんなにいつも優しいの?」と問いかける娘に。

生まれたての頃、体が弱くて、いつも泣いているこの子の世話をしていて、その孤独や辛さにある時、思わず手をあげてしまって、子供と二人で号泣してしまった。

その時、この子が泣くのをやめて、「私もいるから泣かないで」と言っているかのように自分を見て笑っている。

その娘の姿を見て、「この子の笑顔が見られたら、私は幸せなんだって。この子がいつも幸せに笑っていられるようにしてあげたい。」と思ったというエピソードを語る。

本当にそう思う。

子供を見ていて、その子が自分を犠牲にするのではなく、もっと好きなことをして、いつも笑顔でワクワク生きていってほしいと思う。

その願いを陰ながら貫いてきた、このお母さんが本当に素晴らしい。

この映画は、大学受験を描いたものだけど、そもそも、家庭や教育の場にあって、親や教師といった大人たちが、どのようにして子供の自尊心を奪い、そしてどのようにすればそれを育ませることができるか?を教えてくれる映画にも思えた。

また、今日とは違う1日がはじまる。

いつものように、だいぶ話が脱線してしまった。

会うと、いつもこんな感じにとめどもなくカフェで日が暮れるまで話をしていたなぁ。

そんな時間やそれを許してくれた関係が今の僕の強さな気もしている。

今は、もうお互い会えないけど、たまに、ブログを通じて霊界に近況報告するよ。

 

終身雇用も一億総中流意識も壊れ始めて、どこかホッとしている自分がいる。

みんな、同じじゃいられない。

だから、同調じゃなくて互いの違いを認めて、協調し合うこと。

というか、まずは、自分が違っていることを恐れないこと。

「みんなと一緒や普通じゃなくていいんだよ」

自分の子供にもそう教えてあげれるようになろうと思う。

そんなことを考えるよ。

うむ。話し足りないな。

 

 

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