誰かのために生きることを問う。映画『わたしを離さないで』 


あけましておめでとうございます。
新年の最初の映画は、「わたしを離さないで」にしました。すごく悲しくて切ない映画なのですが、目を背けずに前に進む覚悟を得ることができたような、とても考えさせられる良い作品でした。

外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは、他人に臓器を“提供”するために生まれてきた〈特別な存在〉を育てる施設。キャシー、ルース、トミーは、そこで小さい頃から一緒に過ごしてきた。しかしルースとトミーが恋仲になったことから、トミーに想いを寄せていたキャシーは二人のもとを離れ、3人の絆は壊れてしまう。やがて、彼らに逃れようのない過酷な運命が近づく。ルースの“提供”が始まる頃、3人は思わぬ再会を果たすが……。

情報源: 映画『わたしを離さないで』 | 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント

子供の臓器提供をテーマにした、架空の物語なのですが、世界にはこれに近しい出来事が起きているだろうし、誰かが健康になっている陰でその身代わりになっている命がたくさんあるはずです。

この映画は、そうした「誰かのために生きる」という、一見美談に思える事柄を改めて考えさせてくれます。

人の役に立つ、社会に貢献したい。という欲求はその裏に「認めて欲しい」という欲求があると思います。

でも、時にそうした思いを「利己的」と否定しまう出来事や周りからの圧力があると、自分を滅して誰かのために何かをすることが正しいのだと(思い込むことで)、納得を得ようとしてしまいます。

誰のために生きるのだろうか?

この映画を見ていると、誰もが、「なぜそこから逃げないのか?」不思議に思います。

これは答えではないのですが、ふと映画から現実の世界に視点を変えると、案外僕らは、外から見たときに、不思議なくらい不自由な生活を受け入れ、そこから逃げようとせず、我慢や人生を受け入れることをうそぶいて生きているものだと思います。

最近の長時間労働の問題も同じなのかもしれません。

臓器提供とまでは言えませんが、自分の役割を降りるのが怖くて、でも、本当に心から望んでいるのかどうかもわからず、受け入れてしまおうとすること。

本当は誰かのためではなく、自分を生きることしか正解はないのに、詩的な感情で受け入れてしまうこと。

あまりにもピュアでナイーブな主人公たちの言動に心をかきむしられながらも、彼らを救うのではなく、その登場人物と同じものを持っている、映画を見ている僕ら自身に自ら手を差し伸べることが重要なんだと気づかされる映画です。

まだまだ、僕らは生きている実感を味わって生きる時間があると思います。

2017年、元旦。能天気な楽観はないズシンとくる映画でしたが、とても良い問いかけをくれた作品でした。

おすすめです。