いまの東京からは想像できないような、美しい街の姿が見える。いまから100年前大正時代の日本橋(1917年)
大正時代の東京・日本橋 | NHK映像マップみちしる~新日本風土記アーカイブス~
山高帽にマント姿。道行く艶やかな着物姿の女性。その背後には大きな空。高速道路のない東京日本橋の姿。
映像が残っている、もっとも古い明治末期(1902年)の銀座通りには、路面電車を二頭の馬が引いている。その背景には江戸時代のような二階建ての木造建築が見える。そして、そこを行き交う、当時の人々。
記憶にあるはずのない映像なのに、どこか郷愁を感じてしまうのが不思議だ。
この番組NHKスペシャル|カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~.では世界から東京を映した記録映像〜500時間あまりを集めて、カラー化した過去100年間の歴史を映像でたどっている。
それにしても、江戸幕末から明治の45年。大正の15年。その半世紀がどんな時代だったのか? こうして映像を改めてみるまで、深く考えてみる機会もみなかった。
2度の分断
こうした明治大正の美しい東京の姿を一変させてしまう出来事が二度起きている。
- 関東大震災(1923年/大正12年)
- 東京大空襲(1945年/昭和20年)
歴史では習ったはずの、この二つの出来事が、庶民の目線で撮影された記録映像から違ったリアリティを感じさせてくれる。
一度関東大震災で焼け野原になった東京の街並みもたった10年あまり経った昭和10年頃には、これだけ回復している。驚く回復力。焼け野原から600万人が住む都市にこれほど早く変わるものなのか、驚いてしまう。
この裏側で、中国との戦争に突入し始めた日本では、この直後、灯火管制によって灯りやネオンは消され、ぜいたくを禁じる風潮によって世相的に急激に色彩を消失させてしまう。この都市の彩度差も映像によって実感できたひとつ。
そして、東京大空襲。
再び焼け野原になった東京から、約20年後に東京オリンピック(1964年/昭和39年)が開催される。
その後高度成長期を経て、昭和の時代は今の平成につながる。
こうして時代の流れを整理してみるだけでも、僕らは東京という華やかな舞台の上で時代に翻弄される配役を演じながら何度も死んで、そして不死鳥のように蘇る再生の物語を何幕も見せられている気になる。
いや、不死鳥なんてかっこいい言葉ではなく、ただ翻弄され続ける歴史舞台を早回しで見た気分かもしれない。
この100年の間に、美しい色彩が震災と戦争で無彩色になり、そして、鮮やかな色を帯びる。そんな変体する虫のように移り変わる不思議な都市の色彩を映像で改めて見ると、東京は歴史的にもとても興味深い街だと思う。
「日本ー喪失と再起の物語(早川書房)」を書いた、デイビッド・ピリング氏が、来日した時のエピソードで、茶会に参加して「日本は演技と役割を大切にする国」という表現をしていたけど、歴史に翻弄されながらも、文句一つ言わず、役割を守り素直で馬鹿正直にも東京を再建し続けてきた日本人の一面がかいまみれる記録映像だった。