「一日一生」 (朝日新書)酒井雄哉

比叡山で千日回峰行という苦行を二回も満行した阿闍梨。酒井さん。

どんなにすごいお坊さんなんだろうと本を読むと、ものすごく身の丈でユーモアに溢れ、そしてなんとも波乱万丈な人生を送ってきたエピソードにびっくり。

以前荻窪でラーメン屋さんをやっていた。なんて話には仰天でした。

僕が好きな一遍さんにしても、大阿闍梨、酒井さんにしても、すごい行を成し遂げているのに、まったく偉そうにしない。

むしろ、二人の権威的なものを嫌うスタイルが、僕の心を揺さぶるのだと思う。

一日一生

入院という出家

子供の付き添い入院生活で、半畳ほどの簡易ベットの上で24時間寝泊まりし、看病の毎日。

身体はピンピンしているのに病院生活って、あまり経験しないことだと思う。

入院中は子供から目を離すわけにもいかないので、外出もできなければ、外の空気を吸うことすらままならない。

留置所とかもこんな感じなんだろうなぁと思いつつ、深夜も子供たちの阿鼻叫喚や医療機器がピーピーとなり続け、まともに眠らせてくれない生活を考えると、結構過酷な環境。

きっと、これは何かの「行」だろう。という脳内議論の末、この本を手にする。

つまり、付き添い入院は、子供(という仏さまに)に仕える(お世話する)行であり、身体健全なまま、仕事や人間関係を断ち切って病院という幽閉された環境に身を置く生活は、その様「出家」なんだろうとも思うわけです。

千日回峰行の凄さ

とはいえ「行」や「出家」なんて俗人の僕が使うには畏れ多い言葉。酒井さんが成し遂げた千日回峰行に比べると、7年間のたった数時間くらいの行じゃないだろうか。

7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う[2]無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔西塔横川日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。

途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、短剣、埋葬料10万円を常時携行する。

千日回峰行(比叡山) Wikipediaより

ましてや、5年で七百日を満行すると、9日間、飲まず食わずに加え、寝ず、そして横にならない。という過酷極まる「堂入り」と呼ばれる行を行うあたり、普通に想像すらできない。

そんな凄い人が、何を考えてこの荒業に挑んだのか?冒頭にそのエピソードがありました。

「なぜ二度、千日回峰行をしたのですか」って聞かれて、「何もすることがなかったから」って答えると、あきれられるんだけど、本当に他にやることがなかったの。

一日一生より

まさに酒井さんらしいエピソード。この本を読むと、それが謙遜とかではないことがよくわかる。すごく人間的で自然体。

子供の格好をした仏さん

それにしても、千日回峰行のエピソードを知ると、僕なんかの日々の苦労なんて大したことないなぁと思う。

ただ、それを引け目に感じるか?というとそうではなく、酒井さんの言葉を借りれば、仏さんの思し召しというか、僕にできる行を与えてくれているだろうなぁと思ったりする。

どっちがすごいか?偉いか?ではなく、すべて自分の人生の物語として、仏さんはうまい具合にそれぞれにあった人生を描いてくれているものなんでしょうね。

どんなことも目の前に起きることを受け入れていくことを、常に試されている人生。

子供の顔をまじまじとみながら、時たま、「あ、バレた?」みたいな顔でニヤッとするときは、きっと仏さんが子供になりすましているんだろうなぁと思ったりもします。