粋であることの大切さ。

国立劇場開場45周年記念/初春歌舞伎公演、通し狂言「三人吉三巴白浪」、奴凧廊春風

久々に母と歌舞伎を観に行きました。

歌舞伎座が2013年まで閉館しているので国立劇場での観劇ですが、駐車場が500円で目の前に停められるというのは地味にありがたいですね。

それぞれの演目「三人吉三巴白浪」「奴凧廓春風」については語れるほどではありませんが、やはり歌舞伎は誰にでも楽しめる大衆娯楽。その上演時間の長さを感じさせないすばらしい芸能だと思います。

ま、でも本当にそう思えるのは、年のせいなのかな?とも自分に少し不安になるほど。でも、長年行こうと母親に誘われていながら、なんとなく避けていた年月を悔やむほどにもっと早くにデビューしたかったと思います。

「三人吉三」は巡りあった同じ名前(吉三)の盗賊同士の出会いとお互いの業の深い因縁からくる悲劇の物語なのですが、安直な事件や突発的な事故といった「悲劇」ではなく、自らの罪や運命と向き合うが故に深くわかりあう罪人同士の「慈悲」がもたらす悲劇。

歌舞伎も含めて古典芸能に触れると、言葉の意味の深さや情感を思い出すというか、「悲劇」という言葉ひとつとっても、日本人の奥底に眠っているもっと繊細な記憶を呼び覚まします。

とはいえ、文学的な知見や知識がないと理解できないものかというと全く逆で、誰にでもわかる、もしくは感じることができる様になっているところも歌舞伎のすばらしさです。

誰の目にも美しい艶やかな舞台装置やこしらえ。指先の動き一つにぞくっとするような所作ひとつとっても、芸や型を磨き守り抜いてきた日本人の感性の繊細さや鋭さゆえなのか、観ている方も頭でひとつひとつの「意味」を考えようにも追いつかず、単純に泣いて、笑ってと、いつの間にか魅了されて深い世界に導かれてしまう芸の深淵さには圧倒されます。

日本人的な言葉遣いや所作も含め、このスピード感ある時代にどこかに置いてきてしまった情緒的なディテールをもう一度味わい直しながら、それを大切にするように心がけたいと思いました。

ソーシャルメディアや情報表現、発信の世界においても、表現が理論的であったり、優れているか?というのではなくて、「粋であるか?」という視点が大切な基準であり、美意識、心意気だとも思います。

ロジックで圧倒しがちな世界ですが、もっと情緒的で粋な言葉遣いや配慮がこのソーシャルメディアにも広がって行くといいですね。