ジョニー・デップが主演、クリストファー・ノーランが製作総指揮を務め、「ダークナイト」「インセプション」などノーラン作品の撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスターが長編初メガホンをとったSF大作。人類の未来のため、意識をもったスーパーコンピューターを研究開発している科学者ウィルは、反テクノロジーを掲げる過激派組織の凶弾に倒れるが、妻のエヴリンによってウィルの脳はスーパーコンピューターにアップロードされる。消滅するはずだったウィルの意識はコンピューターの中で生き続け、やがてネットワークの力によって地球上のあらゆる知識を手に入れ、予想もしない進化を始める。
人工知能が発達して、コンピューターが感情や自我をもちはじめたらどうなるか?
そして、それが世界中のネットワークに接続し、すべての英知を集合しはじめたら?
コンピュータが人間の知能を超える日
そんな未来社会を描いた映画。いわゆるシンギュラリティもの。
その未来は、グッドエンドとバッドエンドの両極端な想像を掻き立てます。
例えば、核兵器に続く脅威は遠隔操作の無人兵器やその先に自律型の人工知能型ロボットや兵器と言われていて、それは最近の対テロ戦争の報道などを見ていると、未来の話ではないことがわかります。
僕らの知っているコンピューターは、まだ僕らの下にある感覚があって、こちらが指示しない限り勝手に作動したり、予想外の行動といえば「エラー」や「フリーズ」のようなもの。
そこに高度な人工知能が加わると、僕らの予想を超えて、また、僕らの行動や判断を先回りしてサポートしたり指示するような存在になるでしょう。
もし知性をもったコンピューターが眠ることなく24時間365日膨大に検索しはじめて、その膨大な知識を武器にしたら何をはじめるのか?
世界中の医療技術や知識を駆使して、世界中の症例やデータをもとに病気を治療したり、危機や災害時にあらゆるデータをもとに、適切な判断をするような応用分野もある反面、人工知能の判断によって、私たちが排除される可能性も考えられます。
そんな時代。僕らはどうあるべきなんでしょうか?
僕らが目にしている情報ははたして本物か?
例えば、すごく現代の価値観的というか稚拙な例ですが、人気のブログ記事や、まとめサイト、ツイッターやフェイスブックなど、数百のアカウントをあたかも人間が書いたかのように多言語で人工知能が更新し、メディア上の風評や印象操作をすることは容易だと思います。
近未来の「ブログを書く」という行為は、今の「文章を書く」という行為から「人工知能を設計して書かせる」という行為になるかもしれません。
まさに、映画「her」にのように、相手の行動履歴や購買行動などを解析して、最適な文章とタイミングでラブレターを代筆してくれるAIが出てきてもおかしくない時代です。
これからの情報世界においては、何が正しいか?だけでなく、何が(たとえ誤ったものでも)「人の判断か?」を自分で判断する能力を身につけることは、より一層必要とされると思います。
「人間が作ったもの」か「人工知能が作ったもの」か?を見分けることが、次代の情報リテラシーになるんでしょうね。
ちょっと笑えますが。
その意味でも、現代のソーシャルメディア社会は、メディアを通じて人間の様々な虚実を見分ける予行演習であり、思うようにコントロールできない社会のあり方を今、考えるタイミングなんだと思います。
そして、少なくとも僕らが今できることは、良い未来を望むこと。そしてそれを選択すること。
テクノロジーが僕らが望む「希望」の総和に発展するものであってほしいですね。
一人一人が、そして私たちがどこに向かおうとしているのか?大きな視点で、批判的に考えあうタイミングだと思います。
エンターテイメントですが、そんな話をして盛り上がりたい作品です。
[amazonjs asin=”B009QW63BI” locale=”JP” title=”シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき”][amazonjs asin=”B00PYW2NRM” locale=”JP” title=”トランセンデンス(字幕版)”]このブログは人工知能によって書かれました。
— 佐々木 博 (@hirosh) January 23, 2016