冒険の書 AI時代のアンラーニング

人がより善く生きるための教育とは何か?

彼は、現代教育についての「違和感」を、過去の偉人を尋ね歩くという(妄想の冒険)を通じて、これからの時代における学び方のヒントを得ていきます。

そのアプローチこそが、この本の裏メッセージで「アンラーニング」のあり方ですね。

知りたいことがあれば、その都度専門家から学べばいい。過去や歴史からも学び、好奇心を持って自分なりにその疑問を探究していくこと。大人たちがすべきことは、そのサポートや理解であり、教育ではなく学育。

メリトクラシー(能力主義)時代の終わり

子供達(大人たちも含め)の自己肯定感を育めないのは、その教育ありかたを見直せずにいること。

孫さんはその核心部分をこう書いています。

メリトクラシーは、ペシミズムをわずらう「自己責任」という毒を「善意」というオブラートに包んで人々にたくみに飲ませ続けてきました。その毒におかされた人は、逃げ場のない袋小路に追い詰められていきます。

冒険の書 AI時代のアンラーニング 孫 泰蔵 (著)(p206)

わかりやすく言うと「メリトクラシー」=「能力主義偏重社会(社会に必要とされる能力に価値の優劣をつける)」や、それを支える現代の学歴偏重社会によって

その人の本質的な価値に関わらず、(個人の持っている「能力」と言われるものが、社会に必要とされない場合)「劣等感」を育ててしまう。

と言うこと

それが現代の教育の問題であり、

そして、同時にそのメリトクラシー偏重社会は、生成系AIの登場を持ってして終わる。と言うことも明快に喝破してくれてます。

(この本はもう少し前に書かれていると思いますが、昨今の生成系AIの登場で)今を持ってして説得力が倍増してます。

AI時代、何のために、どのように学ぶのか?

では、そんな時代、何をどのように学ぶのか?

最終章の彼のサマリーと未来ビジョンを読みながら、自分なりにも考えてみました

僕は自分の子供のこともあるので、

「生きているだけで価値を実感する社会」

をどのようにすれば実現できるか?と考えてきました。

障害や、能力格差ではなく、誰もがその価値を尊重しあえる社会や仕組みづくり。

自分なりの技術的アプローチで模索していますが、孫さんのいうように、学びのあり方を変えることでもその未来は具現化できる気がしています。

そして、(これは私見ですが)その学びの深い部分に仏教的な東洋哲学思想が生きてくるのではないかと思います。

ぜひ、読んでみてください。孫さんの真摯で熱量ある冒険。すごく親近感湧きます。

最後にこの本でグッと来たところ。

「こっちは遊びなんだ!仕事より真剣に決まってるじゃないか!」

冒険の書 AI時代のアンラーニング 孫 泰蔵 (著)

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