コミュニティに暮らしていて思うこと&「組織というシステムと協力というシステム」on TED

クレイ・シャーキー「組織というシステムと協力というシステム」 | Video on TED.com.

2005年の講演。まだブログをウェブログと呼んでいたり、Flickrに「タグ」が実装されたこと。ロングテール理論など、現在のソーシャルメディア時代に一歩足を踏み出したweb2.0創世記的な時代から色あせない先見を感じるスピーチ。

むしろ始まったばかりの時代だからこそ、直感が冴えるというか、シャープに高揚感をもって語れることもあります。

誰かに「ソーシャルメディア」を伝えるときに、つい省略してしまいがちな「前提」を改めて確認する意味でも時折見直したい、いつの時代にも通じるネットワークの世界の話でした。

シェアハウスにおける「協調コスト」

人がグループや組織、コミュニティの中で混乱することなく、何かを実践し価値あるものを持続的に作り続けるために必要なコストを経済学で「協調コスト」と呼ぶそうなのですが、従来の「組織」を作ることで協調コストを最適化する方法から、マネジメントのないフラットなつながりの(いわゆるソーシャルメディア的インフラ)を活用した最適化の方法を冒頭で紹介しています。

僕自身が暮らす60人のシェアハウスも、「組織」ではなく、むしろインフラに近く、旧来的な概念のコミュニティというよりは新しい暮らし方やつながり方を生み出す実験的「プラットフォーム」なのだと思います。

ここには、住居としての基本的なルール以外は寮母のような管理者やコミュニティに関する組織的なコンプライアンス等はありません。

実験的なのは、こうしたゆるやかなマネジメントを許容している運営会社の懐の深さもあるのですが、最近出来はじめた60人−100人規模の都市生活者達の暮らす施設のローカルルールと、様々な文化や価値観や背景をもつ人たちが、同じ屋根の下でゆるやかなにぶつかり合いながら暮らすことで形成されつつあるグローバルスタンダードをみんなで見極め合っているフェイズだからだと思います。

この生活を僕が選んだ理由もはじめは直感的だったのですが、今となってみたら、このルールが作られるプロセスに立ち会うという意味で、長年携わっているインターネットやソーシャルメディアの本質や行く末をより深いところで理解したいという無意識な興味だったのだと思います。

組織ではなく、インフラやプラットフォームによって生まれる「ゆるやかなつながり」が生み出すしなやかでダイナミックな体験。僕がこのシェアハウスで味わって来た、日々の生活やイベントやパーティ、勉強会など、誰にも強制されることのない、利害のない関係から生み出される協調作業はどれも素晴らしく、お金では測れない価値があります。

シェアハウスとソーシャルメディア

コミュニティに貢献することは、「ただ働き」や「無駄な時間」の積み重ねに思えますが、純粋に人のためやコミュニティの為にチカラを使うことは、適度に気持ちよく、承認欲求も満たされます。偽善だって多少不純ですが大切な動機です。

ただ、それ以上に、疑似家族のような信頼関係の上で起きる「協調コスト」が最適化されたプロジェクトの高い完成度やスピード感は、従来の組織や雇用といった利害関係の中ではなし得ることのできないものでした。

つまり、協調コストやコミュニケーションコストが低く、それぞれの物理的空間や距離が小さい分、エネルギーロスが最小限なので、思い描いたイメージが具現化するスピードが早いのです。この体験こそがこうしたシェアハウスのワクワクするところです。

最初に「この指とまれ」と差し出す勇気さえあれば、物事は組織やヒエラルキー。雇用関係を作らずとも意外になし得るもの。雇用というのは、ある意味相手を信頼していないからこそ、お金で縛る行為で、ソーシャルメディアのインフラが作用している考え方のひとつでもある、ラジカルトラスト(進歩的性善説)というのは、人間は性善だという考え方以上に、「相手の胸を借りる勇気」や「先に相手をトラスト(信用)してみる」ことの大切さを教えてくれています。

こんなことは、今となってみれば、ある意味当たり前ですが、クレイシャーキーが改めてスピーチしているように、これまでの時代は特にプロジェクトには(ヒエラルキー的な)「組織」ありきが通説だったのです。

僕らは、長い間、水平的に協調的に人を動かすことや「協調コスト」を最適化する方法を学んでこなかったのだと思います。

そして、いま、ソーシャルメディアやシェアハウスは学校に変わってその方法を実践的、感覚的に学ぶ教材になりはじめています。

水平的に組織を動かす知恵

これからの時代はまさに、ソーシャルメディアの活用もそうですが、フラットで利害関係のない人間関係の中で緩やかに、かつダイナミックに物事を動かす知恵や教育が求められます。

思えば、学校で模擬店などを出していた学園祭などは、これといったヒエラルキーや組織もないまま、ある程度完成度の高い造形物や創造性あふれるプロジェクト運営を短期間で行っていました。雇用組織や社会のあり方に触れていない学生時代だからこそ、フラットな人間関係からものづくりすることに疑問を持たずにできたのかもしれません。そこにもヒントがあるはずです。

その鍵となるのは、垂直な「組織」とは違う水平な関係作りと、「協調コスト」を下げるためたの「信頼」関係のあり方

コミュニティの中にいて、一人一人のつながりと共有する時間の中で育てられた「信頼関係」。言葉だけでなく、行動によって示されたシンプルな尊敬の積み重ね。

その先に、インフラやコミュニティといった「場」のチカラが作用することで、一人ではなし得なかった夢が実現化する時代がやってくるのだと思います。

たかがシェアハウスかもしれませんが、こうした「場」が人を成長させ「地域」を変え、そして「社会」を変えて行く原動力になると思います。

恊働生活の場

住んでからずっと、自分の住んでいる場所を「シェアハウス」や「コミュニティ」という言葉ではくくれない気がしていました。

それは、むしろ「集まって住む」というただの「家」ではなく、利害関係のない多様な人たちが集まって、モノやアイデアを共有し、協調しあう「仕組み」であって、住んでいるだけで経験が積める面白い「場」

まだルールの定まらない出入り自由な「インフラ」だからこそ可能性があって、魅力的なのだと思います。その分形容できる言葉にならないのかもしれません。

クレイシャーキーが言う様に、ソーシャルメディアがインフラによって、人との関係性や社会のあり方を変え始めた革命だとすれば、「集まって暮らす」この場所もまた、社会を変えるインフラなのだと思います

まだまだカオスですが、こうした考え方が浸透してきて、新しい暮らし方や働き方のグローバルスタンダードになれば、国家を超えた「あり方」が生まれるかもしれません。

2005年の彼の直感を改めて聴き直して、インスパイア受けたまま、書き留めておきます。