天空散歩

高いところにのぼると、ふと色々なことを考えてしまう。
「人って空を飛べないのに、なんであんなにはっきりと空を飛ぶ夢を見ることができるんだろう。」
それが心の中の世界で作られた出来事であったとしても、それなら現実の世界を受け止めているのは一体どこなんだ?
みんなが見ているこの文字だって、写真だって、本当に存在するのだろうか?電源を消したら消えてしまうあやうい世界をどうやって「ある<現実>」って言えるのだろう。
もし次の瞬間にこの画面が「Not Found」になったら、みんなとの関係はきっと終わってしまう。それは僕の存在がなくなったのではなくて、ブログを管理している会社が倒産しただけかもしれない。
そんなものに、僕たちの関係が握られているのだとしたら、細い糸の上に立っているような世界で僕らは何をしているんだろう?

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現実社会はすでに人間関係が希薄で一人ひとりの存在が弱弱しいものになっている。家族や地域とのつながりが薄まりつつある時代に、インターネットがそれを助長していてより人間を弱くしていく。
本当にそうだろうか?
細い糸の上にであったような関係だからこそ、地域や家族や社会を超えて必死につながろうとす力も芽生えるのではないか?
植物のように、枝が折れてしまってもそこから芽吹く力をいまは養っている時期のような気がする。
関係の弱い時代だからこそ、いまは個?自分との「つながり」を見つめ、そして家族や人間関係の「つながり」、地域や歴史との「つながり」を再認識する時代がくるのだと思う。そうした人間や時間、空間の間合いを見なおす感性を養うために、いまはインターネットから様々なものを学んでいる気がしてならない。
それは検索の力だっていい。「Not Found」なら様々な可能性を試して、またつながろうとする気持ちだってきっとそう。
自分を理解するために、表現してみる葛藤だって必要なステップなのだと思う。
自分の中にある新しい可能性を試してみること。
時代が困難を迎えてもきっとそれを乗り越えるだけの想像力が僕らにはまだ沢山残っていて、それを気づかせてくれる存在がこのネットなのだと信じてみたい。
これからの時代、より見えない(バーチャルな)ものを意識して感じる力が必要なんだと思う。それはオカルトな話ではなくて、心や思いを大切にするだけのこと。想像する力、思いやりだってそう。
インターネットはビジネスの道具としてだけではなく、心の在り方を教えてくれる教材でもあるはず。それを示せるのが日本的なインターネットの在り方なのかもしれない。いやそうあってほしい。
そこに「ある」と強く思えることでしか、現実は生み出せないのだから。